2016年11月9日水曜日

【高校生のための中世アラビア語哲学入門】3-2後期古代の註釈家たち

 ――後期古代の註釈家たち

 それでは、アッバース朝の翻訳運動のおかげでアラビア語でアリストテレスを読めるようになったアラブ人たちは、現代の私たちが読むのと同じようにアリストテレスを読んだのでしょうか?それは違います。後でお話するように、アリストテレスのアラビア語への翻訳にはいくつもの要素がからみついてきて、彼らが理解したアリストテレス哲学は、私たちが理解するものとはかなり異なるものになっていました。その原因のふたつが「註釈」と「新プラトン主義」です。新プラトン主義については後で詳しく説明しますが、古代ローマ時代に生きたプロティノスが作った、かなり独創的な思想大系です。この新プラトン主義は次第に勢力を増し、いつの間にかアリストテレスの解釈にも新プラトン主義の要素が取り入れられることになります。

 ここではまず「註釈」についてお話しますが、みなさんは「註釈」と聞いて何をイメージしますか?まず「註釈」という言葉がよく分からない人の方が多いと思います。英語では「註釈」のことをcommentaryと言いますが、コメンタリーというと、DVDなどに付いている副音声のオーディオ・コメンタリーを連想する人もいるかもしれません。オーディオ・コメンタリーでは監督や俳優などが映画のシーンについて解説したり裏話を披露したりしますが、あれは制作者自身によるコメンタリーです。
 哲学の世界における註釈は、本人によって書かれることもありますが、大抵はもっと後の時代の、著者以外の人によって書かれます。つまり註釈とは、哲学的に重要な作品(たとえばアリストテレスの『形而上学』、『魂について』、『カテゴリー論』には多くの註釈が書かれました)に対して、その後の哲学者たちが独自の解釈を加えて解説したもののことを言うのです。言ってみれば「解説本」のようなものですが、誤解していけないのは、現代ですと誰かの本の「解説」を書くより、自分自身のオリジナルな作品を書く方が偉いというイメージがあるかもしれませんが、かなりの時代になるまで、「註釈」は必ずしもランクの低い本だとはみなされなかったということです。むしろ「註釈」という形式をしっかり守って、そのなかで自分のオリジナルな思想を展開するというのがスタンダードな書き方だったのです。だから近世以前の哲学について「註釈という形式主義が主流でオリジナルな思想は展開されなかった」というのは、「オリジナルなものを書くのが一流」という現代的な見方による一面的な評価に過ぎなくて、むしろそういった考え方にとらわれている方が形式主義と言えるかもしれません。

 さて紀元前に活躍したアリストテレスですが、彼の作品にすぐさま註釈が書かれるようになったわけではありません。何とアリストテレスの作品はしばらくのあいだ世間から忘れ去られてしまうのです。その後ロードスのアンドロニコスという人の手によって現在伝わっている形へとまとめられます。アリストテレスの研究が盛んになったのは、それからです。
 現代にまで伝わるアリストテレスの註釈家としてもっとも古いのはアフロディシアスのアレクサンドロスです。(彼以前にも註釈家はいますが、現在ではほとんど顧みられていません。)彼は3世紀ごろのローマ帝国の人で、アフロディシアスはいまのトルコ領内にありますが、当時はギリシア人が数多く住んでいました。アレクサンドロスは数多くのアリストテレスの作品に註釈を書いたのですが、彼の考えでもっとも有名なのが「能動知性」という考え方でしょう。これはアリストテレス『魂について』第3巻第5章にある記述がもとになっています。アリストテレスはそこで知性について語っているのですが、知性を「肉体の死と一緒に滅んでしまう知性」と「死後も消滅しない知性」のふたつに分けました。アレクサンドロスはそこに書かれている「死後も消滅しない知性」のことを「神」だと考えました。アリストテレス自身はそんなにはっきりと書いていないので、いろいろな解釈ができるのですが、アレクサンドロスはそこに彼自身のオリジナルな思想を入れ込みます。これによってアリストテレスの解釈にぐっと幅がでてきます。

 ほかには東ローマの皇帝に仕えたテミスティオスがいます。彼もアリストテレスの註釈をおこないますが、「能動知性」について、アレクサンドロスとまったく違った解釈をおこないます。彼によれば、能動知性は神のような人間の外側にある何か「超越的な存在」ではなく、あくまでも人間のなかにある知性の一側面だといいます。つまり、アリストテレス自身においてまったく問題となっていなかった能動知性という問題が立てられ、それがとてもホットな話題として取り扱われているのです。テミスティオスの書いた、アリストテレス『魂について』の註釈はほぼ完全な形でアラビア語に翻訳され、中世アラビア語哲学にとても大きな影響を与えました。(その割に、中世アラビア語哲学では能動知性にかんしてアレクサンドロス寄りの解釈が主流でした)

 もうひとり重要な註釈家を挙げるとすれば、ヨハネス・フィロポノスがいるでしょう。彼の名「フィロポノス」は「フィロ=好き」と「ポノス=仕事」から組み合わされていて、「勤勉」という意味です。とても真面目な響きのする名前ですね。(ちなみに第二次世界大戦が終わるまで日本で販売されていた「ヒロポン」という薬は、この「フィロポノス」と同じ意味です。ヒロポンがどういう薬か分からない人は、おじいちゃんに聞くといいでしょう。)フィロポノスは6世紀ごろのアレクサンドリアで活躍したキリスト教徒です。彼はキリスト教徒だったので、アリストテレスの註釈を書きながら、キリスト教の教えと合わない部分をどうにか解釈しようとします。フィロポノスの註釈はとても細かくて、ほとんどアリストテレスの作品の一字一句に対して註釈をしています。彼の註釈もアラビア語に翻訳されたことが分かっているのですが、なぜかフィロポノスの作品のアラビア語訳はひとつも現存していません。それではまったく影響を与えなかったのかというとそうでもなく、イブン・シーナーの哲学などには、明らかにフィロポノスの影響を見ることができます。

 ほかにもシュリアノス、オリュンピオドーロス、シンプリキオスなどの註釈家がいますが、中世アラビア語哲学に与えた影響を考えて、とくにアレクサンドロス、テミスティオス、フィロポノスの三人について軽く触れてみました。
 ふつうの哲学史の教科書では完全に飛ばされてしまう分野だと思いますが、一見地味な「註釈」というスタイルのなかに、とんでもないオリジナリティが潜んでいることが分かってもらえたのであれば、いまはそれで充分です。

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