2016年11月9日水曜日

【高校生のための中世アラビア語哲学入門】3-1アリストテレス哲学

第三章 思想的な流れ

 ――アリストテレス哲学

 前章までで、中世アラビア語哲学をめぐるおもに歴史的な背景についてお話しましたので、ここでは逆に思想的な背景について説明することにしましょう。20世紀のイギリスの数学者、哲学者であったアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは西洋哲学を「プラトンの註釈の集まりからできあがっている」と言いましたが、少なくとも中世アラビア語については当てはまりません。むしろ「中世アラビア語哲学は、アリストテレスの註釈の集まりからできあがっている」と言った方が正確でしょう。(もちろんホワイトヘッドはそのアリストテレスすらプラトンの註釈であるという意味を込めているのでしょうが。)
 これはいったいどういうことでしょうか?

 以前もお話したように、中世アラビア語哲学が形成されるきっかけのひとつとして、アッバース朝の時代における大規模な翻訳運動があり、それには「先進的なギリシアの学問を取り入れる」という動機がありました。ですからなによりも哲学は「学問」、当時の最先端の「科学」として導入されたのです。そのため、これは重要なことなのですが、ギリシア語からアラビア語に翻訳された文献のなかに「文学作品」はほとんど含まれていません。ホメロスの叙事詩やソフォクレスの悲劇、アリストファネスの喜劇など、古典ギリシアの膨大な文学作品に、アラブ人たちはほとんど興味を示さなかったのです。
 そして、現存するプラトンの作品は、偽書だとされているいくつかの書簡を除けばすべて「対話篇」、つまり演劇のシナリオのような、ある意味「文学的」なものなのです。ですから文学的な香りのするプラトンよりも、キッチリとした論文形式のアリストテレスの方が好まれたということは言えるでしょう。9世紀ごろから開始されたアリストテレスのアラビア語翻訳はものすごい勢いで進められ、だいたい10世紀の前半にはほぼすべてのアリストテレスの作品がアラビア語で読めるようになります。このように、中世アラビア語哲学の骨格はアリストテレス哲学でできあがっているため、彼らは敬意を込めてアリストテレスのことを「第一の師」と呼びます。

 それでは、「第一の師」アリストテレスは、どのような生涯を送ったのでしょうか?
 アリストテレスは紀元前384年、マケドニアに生まれます。マケドニアとはギリシアのすぐ北に位置する国で、民族的にはギリシア人が作った国ですが、都市国家のアテネやスパルタと違って、王が支配する王国でした。彼はそのマケドニアのスタゲイラで生まれたため、「スタゲイラのアリストテレス」と呼ばれることもあります。青年になってからアテネにある哲学の学園アカデメイアで学びます。ここはプラトンが作った学園で、アリストテレスはここで20年ほど勉強します。その後プラトンが亡くなると故郷のマケドニアに帰り、王子のアレクサンドロスの教育を引き受けます。このアレクサンドロスこそ、後の有名なアレクサンドロス大王、つまりアレクサンドロス三世です。アリストテレスがアレクサンドロスに教えたのは彼が即位するまでの6年ほどのあいだだったと言います。その後アリストテレスはアテネに戻り、自らの学園リュケイオンを建て、そこで哲学を教えます。アレクサンドロス大王はインドに到達するほどの大帝国を建設しますが、遠征途上病に倒れ、帝国は瓦解します。当然ながらその間マケドニアに抑圧されていたアテネでは反マケドニアの空気が生まれます。アリストテレスもマケドニア人だったため、迫害を逃れるために亡命しますが、紀元前322年、亡命先で亡くなります。62歳でした。

 そんな彼の哲学はとても広範囲にわたります。日本で出版されているアリストテレス全集や岩波文庫の本などを見てもらえば分かりますが、『形而上学』や『魂について』といった「いかにも哲学的」な本以外にも、『動物誌』や『天について』など博物学的な本、『カテゴリー論』や『命題論』のような論理学的な本も書いています。そしてこれらがすべてまとめて「哲学」と呼ばれていたのです。アリストテレス哲学はこのように幅広い分野をカバーしているので、彼の哲学についてひとことで言うのは難しいのですが、もしひとつだけ言うなら、それはプラトンの哲学に比べて「経験主義的」な面をもっているということです。(プラトンの哲学については後で説明します。)
「アリストテレスの提灯」という言葉があります。これは何のことでしょうか?アリストテレスが発明した灯りのことでしょうか?じつはこれ、ウニの口のところにあるクチバシのような部分のことなのです。アリストテレスはウニを観察して、このクチバシが提灯に似ていると書き記したので、後の人びとはこの部分を「アリストテレスの提灯」と呼ぶようになったのです。
もちろんアリストテレスの哲学は観察や経験だけを取り扱うのではなく、経験に左右されない絶対的な真理のようなものも取扱います。しかしアリストテレスは「真理に近いもの」と「我々に近いもの」は別だと考えます。そして、私たち人間は「我々に近いもの」、つまり経験からしか出発できないのですから、まずは経験から思考を出発させなければならないと言います。

 また、アリストテレスの作品にはたいてい、彼以前の哲学者たちの考えがまとめられています。つまり、ほかの哲学者はこのように考えていたのだけど、彼らの意見はこのような理由によって不充分である、だから私はこのように主張する、という風に書くのです。これは現代では「先行研究」の検討といって、論文など学術的なものを書くときには必ずやることです。これは文系、理系にかかわらずやらなければならないことです。これを最初に始めたのがアリストテレスなのです。だから、その意味でもアリストテレスは今日にまで続く「学問」のフォーマットを作った人と言えるかもしれません。

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