2016年10月31日月曜日

【高校生のための中世アラビア語哲学入門】【コラム】「東方哲学」とはいったいなにか?

  【コラム】「東方哲学」とはいったいなにか?

 さきにも述べたように、「東方哲学」とはイブン・シーナーが考え出した用語で、晩年の彼は自らの哲学を「東方哲学」と呼んでいます。これは現在の研究によると、「西方哲学」つまり「バグダード学派」に対抗するために自らの哲学をそう呼んだのではないかと言われています。(イブン・シーナーが生きていた時代、まだアンダルシアに哲学は興っていませんから、彼にとって西方とはバグダード学派のことでした。)
 つまり、彼の提唱した「東方哲学」とは、純粋に地理的な要素によって名付けられたものだったということです。実際にイブン・シーナーの哲学とバグダード学派の哲学を見てみても、それほど極端に違うということはありません。それに彼はバグダード学派のひとりファーラービーからも強い影響を受けていますから、まったく別ものになるわけがありません。

 しかし、これまでこの「東方哲学」という言葉の意味をめぐって、少なからず論争がなされてきたのも事実です。それは、アンリ・コルバンに代表される、そしてもっとさかのぼれば19世紀のアウグスト・フェルディナンド・メーレンにまで行きつく、イブン・シーナーと神秘主義を結び付ける考え方に端を発します。コルバンはドイツの哲学者ハイデガーの『形而上学とは何か?』を最初にフランス語に翻訳した人物でもあり、彼自身とても優れた思想家だったのですが、彼はイラン的な神秘哲学を熱心に研究していました。そのためイラン的な神秘哲学を最終的な到達地点にあらかじめ設定して、そこに行きつくまでの筋道を組み立てるという手法を取ったのです。
 イブン・シーナーの晩年の著作に『示唆と暗示』というものがあるのですが、メーレンはその著作の後半が神秘主義(スーフィズム)であると主張したのです。コルバンはそれに乗っかる形で、イブン・シーナーは晩年に至って神秘主義に目覚め、イラン的な神秘哲学の第一歩を踏み出したとしたのです。つまり、イブン・シーナーの哲学は基本的に新プラトン主義的なアリストテレス哲学であり、それはコルバンから見るとギリシア哲学の借り物に過ぎません。しかし彼が晩年になって編み出した彼独自の「東方哲学」こそ、イラン的な、真にオリジナルな哲学の萌芽ということになります。(イブン・シーナーはペルシア(=イラン)系の出自です。)
 ですからコルバンは彼の「東方哲学」に神秘的な意味を込めようとします。それは西洋に対するオリエントでもあり、「光出づる地」の神秘的な哲学でもあります。

 イブン・シーナーより後にシリアのアレッポで処刑されたペルシア系の哲学者にスフラワルディーという人物がいます。彼の主著は『照明叡智学』などと呼ばれますが、コルバンはこれを『東方神智学』と訳します。どういうことかというと、スフラワルディーがここで使用している「照明」(イシュラーク)というのは、「東方」(マシュリク)と同じ語根の言葉で、アラビア語においてふたつの言葉は割と入れ替え可能なのです。そこでコルバンスフラワルディーのなかに、イラン的な「東方哲学」の流れを見出して、イシュラークを「東方、オリエント」と読んだのです。またコルバンスフラワルディーの「照明哲学」のなかに、光の宗教ゾロアスター教のモチーフを積極的に見つけ出そうとします。(もちろんスフラワルディー自身もこういったイメージを意識的に使っています。)但し、スフラワルディーのこの「光」のイメージは、現在ではむしろプラトン主義とのつながりが注目されています。(プラトンにおいて、善のイデアは太陽、つまり光なのです。)

 「東方」という言葉は、使う人によってかくも特別な意味が込められる言葉なのだということは、少し気を付けておいた方がいいかもしれませんね。

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