2016年10月30日日曜日

【高校生のための中世アラビア語哲学入門】1-2どんな時代の哲学?

――どんな時代の哲学?

 「中世アラビア語哲学」という言葉の指す意味が少し明らかになったところで、もう少し詳しく見てみることにしましょう。
 まずは、中世アラビア語哲学がどんな時代の哲学なのかということです。先ほども書きましたように、ここでは大まかに言って、キンディーが生まれたとされる800年前後から、イブン・ルシュドが亡くなる1198年までの時代に展開された哲学的思想のことを指します。
 そして、この期間の「いつから」についてはあまり論争がないのですが、「いつまで」をどの時点に設定するかによって、その人が中世アラビア語哲学に何を含めようとしているか、ある程度分かってきます。
 じつは、中世アラビア語哲学の期間を「イブン・ルシュドが亡くなるまで」とする見方は、むしろとても伝統的なものなのです。そして、逆に「13世紀以降こそがイスラーム哲学の黄金期である」という見解もあります。
 これはいったいどういうことでしょうか?
 その答えは、「アラビア語哲学」と呼ぶか「イスラーム哲学」と呼ぶかということにもかかわってきます。

 まず、イブン・ルシュドが亡くなるまでが中世アラビア語哲学の絶頂期であるとする見方は、ものすごく大きく言うと、ヨーロッパ中心史観に基づいているという解釈もできます。この考え方では、中世アラビア語哲学というのはギリシア哲学のコピーであり、その遺産はいくらか捻じ曲げられた形でヨーロッパに伝わり(つまり、本来ギリシア(=ヨーロッパ!)の財産だったものを、正当な持ち主のもとに返してもらったということです)、それ以降の中東には、いわば哲学の搾りかすしか残っていないという考え方です。
 これは、中世ヨーロッパの哲学思想、いわゆるスコラ哲学(ギリシア語のスコレー(=余暇)に由来し、主にキリスト教の宗教家によって担われた哲学思想です)を中心に見た場合、とてもしっくりくる見方です。そこにおいて、イブン・シーナーイブン・ルシュドといった哲学者たちは、そのラテン語名アヴィセンナアヴェロエスとしてのみ意味をもちます。こういった単純な見方は、現代の世界的な研究においてはほとんどなくなってきましたが、ふつうの人はそもそも中世アラビア語哲学のことをあまり知らないし、そもそもスコラ哲学研究者のあいだでも、この歴史観は(若い人には少なくなりましたが)、まだまだ健在なように思われます。

 それでは逆に、13世紀以降こそがイスラーム哲学の黄金期だという見方についてはどうでしょうか?これは先ほどのヨーロッパ中心史観とはまったく逆の考え方です。確かにイブン・ルシュドが亡くなって以降も、中東地域から哲学が消えたわけではありませんでした。ただし、それはここで取り扱おうとしているものとは少し違った形になります。私の考えでは、イブン・ルシュドが亡くなるまでは「アラビア語哲学」であり、むしろそれ以降は「イスラーム哲学」と呼ぶのが相応しいと思われます。これについてはもう少し後で詳しく説明しますが、とにかく、この頃を境にこの地域で展開される哲学の性格が変わっていくということには注意しておきましょう。
 もちろん「アラビア語哲学」はきわめてギリシア的要素の強いものであり、この時代の哲学はあくまでも「借りものの哲学」だという批判は成り立つでしょうし、真にイスラーム的な形でオリジナリティをもって展開されていくのはそれ以降の哲学なのだという主張はまさにその通りだと思います。
 しかし一方で、「アラビア語哲学」と「イスラーム哲学」はクッキリと二分割できるものでもないし、その必要もありません。イブン・シーナーに代表される東方のアラビア語哲学を批判した神学者のガザーリーは、マドラサ(宗教学校)の教育に哲学的な「論理学」を導入します。それに、表面的な表現形式はイスラーム色が強くなったとはいえ、その骨格は「アラビア語哲学」期に形成された体系を利用しています。ですから、このふたつは本当のところ地続きであり、別にふたつの別の哲学体系があるわけでもないのです。
 ただ、中世の中東地域で展開された哲学を大きく分けるとそれぞれ「アラビア語哲学」、「イスラーム哲学」とでも呼ぶことの出来るようなふたつの時代があり、私たちがここで学ぼうとしているのはその前半、「アラビア語哲学」と呼ぶべき哲学思想だということさえ分かれば、それで問題ありません。

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