2016年6月6日月曜日

井筒史観の危険性について

2016年3月に、とうとう井筒俊彦全集の最終巻『アラビア語入門』が発売された。
(たしか最初は2015年の10月だかに発売予定だったから、半年近く伸びた計算だ。まるで昔のドラクエみたいな遅延具合だな…。)


それとともに近年、井筒俊彦の再評価が目覚ましいが、いちおうアラビア語の哲学を専門にしている者としては、「喜ばしさ半分」「苦々しさ半分」といったところである。

喜ばしさとしては当然、日本におけるアラビア語哲学の旗手であった井筒が再評価されるということは、この分野が活性化するという理由が挙げられる。

しかし、大半の人は、なぜ苦々しさを覚えるのか不思議に思うだろう。

これはつまり、井筒俊彦というよりも、彼が依拠している哲学史観、いわば「井筒史観」とでも言うべきものに原因がある。


よく知られたように(あまり知られてもいないか)、井筒の盟友とも言える研究者にアンリ・コルバンHenry Corbin(1903–1978)がいる。
コルバンはきわめて優れたイスラームの研究者だったが、同時に独自の思想を展開する人物でもあった。コルバンの哲学史を一言で言えば「イラン的神秘主義哲学に帰着する東方哲学史」である。(何とも表現しづらいのだが…。)
ものすごく大雑把にいってしまえば、モッラー・サドラー(1572–1640)あたりを頂点とする哲学史を構築し、東方哲学はすべてここに至るまでの発展史だという考え方である。


井筒俊彦の哲学史がコルバンのものとまったく同じというわけではないのだが、井筒はコルバンから極めて強い影響を受けている。
たとえば、イブン・シーナーが最終的に神秘主義に目覚めた、なんて考え方はコルバン(さらにもとを辿れば19世紀のMehrenに至る)辺りの考え方を踏襲している。
私の考えでは、イブン・シーナーはきわめてペリパトス派の論理に忠実な人で、晩年に神秘に目覚めたというのは「誤読」だと思われるが。


もちろん、ギリシアの古典哲学と違って、中世アラビア語哲学はいまだに新たな文献が発見されている状態で、現在刊行されているエディションにかんしても、「批判校訂版」と言えるものはまだまだ少ないのが現状である。

だから、井筒史観が現代の目から見て「古い」のは仕方ない話で、むしろそういった資料的制約のあるなかで、よくあれだけの思想を展開したものだという点では、掛け値なしに素晴らしい。

ただやはり、井筒史観は井筒史観であり、現在の研究状況から見ると、それを鵜吞みにするのは危険であると言わざるを得ない。


もちろん、思想家としての井筒の素晴らしさがそれで損なわれるということでは、まったくない。

しかし、やはり井筒の著作は井筒思想として読むべきであり、「中世アラビア語哲学の教科書」として読むのは避けた方が良いかもしれない。(じゃあ現役の研究者がしっかりした教科書を書け!という批判は更に当然のこととして受け入れながら)

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