2016年6月20日月曜日

スフラワルディー『照明叡智学』第一部第一巻(1)

第一部
思考の規則
全三巻


第一巻
知識(al-maʻārif)と定義(al-taʻrīf)
全七規則


第一規則
〈語(al-lafẓ)による意味の指示 〉

(7)対応する意味への語の指示は「意図(al-qaṣd)的指示」であり、意味の一部への指示は「包含(al-ḥayṭah)的指示」で、意味に附随するものへの指示は「寄生(al-taṭafful) 的指示」である。意図的指示には寄生的指示が必ず続く。というのもあらゆる存在は附随物をもつのだから 。しかし意図の指示は包含的指示を欠くこともある。というのも部分をもたないものもあるのだから。一般的なもの(al-ʻāmm)は特殊なもの(al-khāṣṣ)を、その特殊性で指示しない。だから「私は動物を見た」と言った者は、「私は人間を見なかった」とは言えるが、「私は物体を見なかった」や「意志的に運動するものを見なかった」などとは言えない。

第二規則
〈概念化と承認の分類 〉

(8)あなたが忘却していたものを認識したとき、この場に相応しい言い方をすれば、その認識はまさにその実相のイデア/イメージ (mithāl)があなたのうちに生じることである。というのも、忘却したものの本質をあなたが知るとき、あなたのうちにその痕跡が何も生じないならば、それを知る前と後であなたはまったく同じなのだから。あなたのうちにその痕跡が生じたとしても、[認識したものと]一致しないならば、あなたはそれを在りのままには知らなかったのだ。よってあなたが知ったものに何かしら一致していなければならないし、あなたのうちにあるのはそのイデア/イメージなのだ。
我々は、本質的に多数者への一致が妥当な意味を「一般的意味」(al-maʻnā al-ʻāmm)、それを指示する語を「一般語」(al-lafẓ al-ʻāmm)とする。たとえば「人間」という語とその意味のように。そして語の概念そのもののうちに共通性がまったく思い浮かべられないなら、それは「個別的意味」(al-maʻnā al-shākhiṣ)であり、それを指示する語については「個別語」(al-lafẓ al-shākhiṣ)と呼ばれる。たとえば「ザイド」という名前とその意味のように。また他の意味に包含される意味はすべて、包含する意味との関係において「低位の意味」(al-maʻnā al-munḥaṭṭ)と呼ばれる 。

第三規則
〈何であるか性〉

(9)あらゆる「実相(ḥaqīqah) 」は「純一(basīṭah)」で、知性のうちでも部分をもたないか、「非純一(ghayr basīṭah)」で、たとえば動物のように部分をもつかである。
というのも動物は「物体」と、「その生命を必然化するもの」から構成されているのだから 。最初の要素は「一般的な部分」であり 、つまり物体と動物が思い浮かべられたとき、物体は動物よりも一般的で、動物は物体との関係において低位のものである。二つ目の要素は「特殊な部分」であり、それのみに属している 。事物に特有の意味は、事物と等しい場合もある。たとえば人間のもつ理性/発話(al-nuṭq)の素質のように 。または人間のもつ男らしさ(al-rujūliyyah)のように、より特殊な場合もある。実相は、人間の「現実に笑うこと」のような「離存的付帯性」(ʻawāriḍ mufāraqah)をもち得る。また「附随的付帯性」(ʻawāriḍ lāzimah)をもち得る 。そして完全な附随物(al-lāzim al-tāmm)は、本質的に実相に関係していなければならない。たとえば三角形にとっての三つの角のように。なぜならそれを取り除いた状態を思いうかべることはできないし、何らかの作用因が三角形に三つの角をもたせるわけでもないのだから。というのも、もしそうであれば、[三つの角は]三角形に附随することも附随しないことも可能になり、三つの角なしでも三角形が実現し得ることになるが、これは不合理である 。

第四規則
〈本質的付帯性と離存的付帯性の違い〉

(10)あらゆる実相について、作用因がなくとも本質的に必ず実相に附随するものと、他者によって実相に附随するものを知りたいのであれば、実相だけを観想し、それ以外から目を背けなければならない。実相から除去できないものは、実相に従属し、実相自体がそれを必然化する原因なのだ。つまり、実相以外がそれを必然化したならば、それは附随も除去も可能になっただろう。部分のシンボル(ʻalāmāt)のなかには、全体を思惟する前にそれを思惟し、全体を確証するために役立つものがある。それによって事物が描写される部分、たとえば人間の「動物性」などを、ペリパトス派の信奉者は「本質的なもの」と呼ぶが、我々はこういったものを「必然的なもの」(mā yajibu)と呼ぶ。附随的付帯性や離存的付帯性への思惟は 、実相を思惟してからであり、それが存在するさいに実相は何らかの振る舞いをする。付帯性は、人間の「歩く」素質のように、事物よりも一般的な場合もあるし、人間の「笑う」素質のように、それに特有な場合もある。

(2)

*底本はコルバン校訂版。WalbridgeとZiaiの校訂版も適宜参照。
あくまでも私訳のため、その点をご了承願います。逐語訳よりも、日本語としての読みやすさを優先してあります。また、随時更新する可能性有り。

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