2016年6月28日火曜日

ガレノス『ティマイオス敷衍』(9)

IX―その後に彼は形相(al-ṣuwar)すべての存在にかんする一般的説明をおこなった。以下は彼の言葉そのものである:「よってもし知性(al-ʻaql)と正しい考え(al-fikr al-ḥaqīqī)がべつのふたつの類ならば、我々が感覚せず、〈むしろ〉ただ頭に思い浮かべるだけの、それ自体で存立する種(anwāʻ)が必ず存在しなければならない。もしある人たちが考えているように、正しい考えと知性の違いが、肉体のうちで我々が感覚するいかなるものも存在しないということならば、このふたつはべつの種だと言われるべきだということを確実に確定しなければならないだろう。なぜなら、両者は互いに無関係に思い浮かべられるし、類似していないのだから。というのも、我々のうちの一方は知識(al-ʻilm)により、もう一方は説得(al-iqnāʻ)によるのだから。第一のものはつねに正しい推論(qiyās ḥaqīqī)により、第二のものは推論以外によって生じる。更に第一のものは説得によって動かないが、第二のものは説得によって変化する。すべての人間は後者を共有していると言われなければならないが、知性のほとんどは天使たちのうちにあり、人間のうちには僅かな知性しかない。このようならば、天使のうちにある種はひとつであり、生成されず滅びず、お互いに影響を受けず、他者のうちで活動せず、見られず感覚されないことを認めなければならない。以上が我々の記述通りならば、我々は知性が認識した以上の内容を探求しなければならないだろう。それと同じ名前のものは、それに類似しており、それに続く第二のもので、感覚され生成され、つねに何らかの場所(mawḍiʻ)に生成し消滅し、思いなしと感覚によって認識される。第三の種類について言えば、それは消滅を受け入れず、生成するすべてのものに安定や土台を与え、感覚以外によって触られ、誤った考えが信じるものを嘘だと見做す。我々はそれをまるで夢のように考え、この事物が存在するときはいつも、触れられる何らかの場所(mawḍiʻ)のうちに存在しなければならない、なぜなら大地にも天の場所にもないものは、いかなるものでもないのだからと言うのだ。」(51d–52b)ここまでがプラトンの言葉である。

(8)

*底本はKrausとWalzerの校訂版。
あくまでも私訳のため、その点をご了承願います。逐語訳よりも、日本語としての読みやすさを優先してあります。また、随時更新する可能性有り。

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