2016年6月23日木曜日

ガレノス『ティマイオス敷衍』(2)

II―私は言う。ティマイオスは、すべてのものにはふたつの第一の類(jins)があり、そのひとつは永遠の存在者で、もうひとつは絶え間ない生成者であると定めているのだから、彼は続けて「生成者はすべて、必ず何らかの原因によってのみある」(28a)と言ったが、そこに論証を与えてはいない。というのもそれは、知性によって明白なもののひとつなのだから。というのも、つねにひとつの状態にあるものは何であれ生成も消滅もせず、それを生成させる原因をもたないのだから。かつて在ったものはすべて、かつて作用因をもっていたのであり、生成のうちにあるものはすべて、現在の時間において作用因をもっているのだ。世界が生成のうちにあるということを、ティマイオスはすでに掛け値なしに認めている。なぜならソクラテスがそれを違う箇所の彼の訓練においてすでに明らかにしているのだから。そしてその生成が消え去ることのないか、始まりをもつかについて、彼は後の箇所で解説し、その生成は始まりをもつと言う。彼は言う:「真に世界[創造]の創造者の存在について、それを探求することは困難かもしれない。たとえ真にそれを見出したとしても、彼はそれをすべての人々に公表することはできない。」(28c)
 それから、創造者が世界創造をおこなった目的に注視して彼は言った:「創造者は世界がずっと存続するように作り上げた。それが明らかなのは、世界がいまあるよりも卓越した状態にあることは不可能だからであり、もし彼が世界にずっと存続するよう命じなかったなら、そのようではなかっただろう。」(29c)それから彼は第三の原因に注視した。それは世界創造を呼びかける者(al-dāʻī)で、それは完全なる者(al-tamām)、または世界がそのためにあるものと呼ばれる。それから彼はそれを、彼が述べたふたつのもの、つまり創造者と、世界創造がそれに基づいている彫像(timthāl)に付け加えた。そして彼は言った:「世界創造の原因は、神の寛大さである(至高なる神に祝福あれ)、そして寛大なる御方は嫉妬せず、いついかなるときも、いかなるものについても物惜しみしない。そのため、世界の創造を整序することができるように、秩序をもたずまったくばらばらに運動する物体的実体を整序しようと望んだのである。なぜなら、秩序付けられていないいかなるものも、知性なしでは秩序に戻ることができず、そのため創造者はこの実体のうちに知性を作ったのである。いかなるものも魂なしで知性をもつことはできない。そのため、世界が魂をもつようにして、それをつねに可能なものとして創造したのだ。」(29e–30b)

(1) (3)

*底本はKrausとWalzerの校訂版。
あくまでも私訳のため、その点をご了承願います。逐語訳よりも、日本語としての読みやすさを優先してあります。また、随時更新する可能性有り。

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