2016年6月27日月曜日

ガレノス『ティマイオス敷衍』(8)

VIII―ここまで彼がその創造について述べたものすべての生成の原因は知性であると見做されている。後の箇所で彼が述べるほかのすべてのものは必然的に生成すると見做されている。というのも、世界は必然的なものと知性から混淆され生成しており、知性は必然的なものを支配しており、〈というのも、〉知性は生成するものの大部分を、もっとも優れておりもっとも正しい状態にするよう〈必然的なものを説得するのだから〉。それから彼は言った:「この世界は必然的なものを説得したときに発生する。」(48a)必然的なものは、混乱した原因と呼ばれうるもので、彼にとってこの名前は、ごちゃまぜの状態(al-tashwīsh)や、秩序や善良さに従っていないものを指しうる。
それから彼は話を戻して、土と火と水と空気の互いへの変化(istiḥālah)について語った。そして土、火、水、空気すべてを包み込み、それらが変化してもそのままに留まるものを、生成の母や乳母(al-wālidah wa-l-murḍiʻah li-l-kawn)と呼んだ。彼は言った:「母は最初から置かれており、それを模倣するもののように父に従属している。」(50d)なぜなら世界は質料と形相から発生し、生まれるのだから。

(7) (9)

*底本はKrausとWalzerの校訂版。
あくまでも私訳のため、その点をご了承願います。逐語訳よりも、日本語としての読みやすさを優先してあります。また、随時更新する可能性有り。


ガレノス『ティマイオス敷衍』(7)

VII―それから彼は言った:「創造主(至高なる神に讃えあれ)は天使たちに、魂たちに死を受け入れる身体を作って、その身体を残りの魂たちに結び付けるよう命じた。そこで天使たちは最初の創造をおこなったが、その基礎(al-aṣl)は世界の諸部分から選抜した火や土や水や空気から天使たちが取ってきたものだった。」(42e–43a)そのあとに彼は、魂と肉体の必然的な結びつきによって魂に付帯しているものについて、なぜ魂は結びつきの当初には知性をもたないのか、なぜ知性はその後に魂の相手になったのかを説明した。それから魂の最初の状態の原因を湿度の多さに、第二の状態の原因を乾燥とした。それから彼は言う:「力強く偉大なる創造主は人間を創造したとき、人間の器官のなかで頭を創造しようとし、そのうちにふたつの神的な回転を作った。」(44d)つまり、創造主は人間のほんの一部しかこの器官に含めなかったのだ。つまり彼は言う:「すべての器官は頭に奉仕するためだけに創造されたのである。両足は歩くため、両手は掴むため、両目は見るために。」(44c–45b)そして彼は言う:「瞳から発出する光り輝く実体が我々を取り囲む空気と結びつき、その光が似たものと混ざり合い、それの変化に合わせて変化することによって、我々は外部〈に〉あるものを感覚するのだ。」(45b–d)私はこの言説を私の著作『ヒッポクラテスとプラトンの見解について』(fī ārā’ buqrāṭ wa-flāṭun)の第七巻やその多くの箇所ですでに明らかにしている。そして私の著作『論証について』(fī al-burhān)の十三巻で本当の論証をおこなっている。とはいえ、プラトンはその著作『ティマイオス』で、〈夢のなかでしか〉現れない像や、鏡のなか〈に現れる像について〉も語っている。我々が視覚から獲得する利益と我々が聴覚から獲得する利益は明らかである。彼は言った:「視覚と聴覚は哲学(al-falsafah)の生成のために作られたのである。」(47b)

(6) (8)

*底本はKrausとWalzerの校訂版。
あくまでも私訳のため、その点をご了承願います。逐語訳よりも、日本語としての読みやすさを優先してあります。また、随時更新する可能性有り。

2016年6月25日土曜日

ガレノス『ティマイオス敷衍』(6)

VI―それから彼は言った:「至高なる神は天使たちに汎く言われた:「彼らは生成されたものなので、消滅しないことはない。しかしながら、彼らはいかなる時にも、神の意志や配慮によっても消滅しないだろう。なぜなら天使たちを、世界において死を受け入れる動物が生成するための原因としなければならなかったのだから。というのも、もし創造主が彼らの創造を指揮したら、彼らは天使たちの等級になっていただろうから。」」(41a–c)それから彼は言った:「創造主(至高なる神に讃えあれ)は天使たちに、不死の天性の始まりを与えた(それで理性的魂を意味しているのは明らかである)。そしてこのため、世界の魂が混ぜ合わされている第一の混淆を混淆したとき、前回のものの残りを注ぎこみ、それらをすべて混ぜ合わせ、それらをある面ではそのまま存続するものとして作ったのだ。しかし創造主はそれらをその似像(al-mithāl)のように消滅しないものとして作ったのではなく、第二のもの、第三のものとして作ったのだ。」(41d)
それから彼は言った:「世界の創造が完了すると、創造主は魂を星々の数と同じになるよう分割し、各々の魂をそれぞれの星のうちに置き、魂たちに世界の本性を示し、規範(al-sunan)を定め、魂たちに布告した。」(41d–e)それから彼は言った:「すべての人々にとって最初の生成はひとつで、その持ち主から生成が〈まったく〉不足していない。」(41e)それから彼は言った:「しかし――魂が各々に、各々に相応しい時間の道具に応じて植えつけられたとき――創造主(至高なる神に讃えあれ)は動物のなかで創造主にとって最も優れたものを発芽させなければならなかった。また人間の本性は二種類なので〈…〉そのうち優れた方は、後に男と呼ばれるものである。」(41e–42a)
それから彼は言った:「人間は魂が肉体と結び付けられたあとに、その肉体に出たり入ったりするものを必要とするので、創造主(至高なる神に讃えあれ)はそのうちに生得的な感覚を作り、そのうちに快楽と苦痛が混ぜ合わされた欲望(al-shahwah)を作り、それに加えて恐怖と怒りや、これらに従属するものや、それらに反対のものを作った。人間がそれらを打ち負かしたとき、彼の生命と統括は正義に従っている。逆にこれらのものが人間を制圧したとき、彼の生命と統括は不正に従っている。すべての時間を首尾よく過ごして人生に満足している者は、その魂もそれが出発してきた星々に戻り、彼の生命をより優れて統括することでそこに安住する。しかし彼の生命をそのように[統括]せず、その統括をしくじった者は、第二の生成において女の本性に生まれ変わる。さらにこの本性を維持しなければ、その生成の状態に対応したほかの本性で罰せられ、何らかの野獣の本性に生まれ変わり、これらの生まれ変わりは、彼が最初に立ち帰り、その魂から、自らのうちでつねに同じ状態に留まっている運動によって、彼のうちで理性(al-nuṭq)なく無秩序に混ぜられ火と水と空気と土から成るそれら反芻するものどもを断ち切って、理性でそれらを圧倒し制圧し、それによってもっとも優れていた最初の状態に戻らない限り、決して止むことがない。」(42a–42d)
それから彼は言った:「すべての魂のうちに公正を通したとき(魂たちに定めた律法(al-nawāmīs)とは異なるが)、創造主は魂たちの一部を時間の道具の一部のうちに植え、――ある魂は大地へと移された、管見によればそれは間違いだが――ほかの一部をべつの時間の道具のうちに植えた。」(41d)

(5) (7)

*底本はKrausとWalzerの校訂版。
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2016年6月24日金曜日

ガレノス『ティマイオス敷衍』(5)

V―それから彼は時間の本性について語り、こう言った:「創造主は惑星の星々とすべての天球の一巡を定めた。つまり、夜と昼はともに天球の運動によって生じ、ひと月は月が一巡して、自らの天球を横切り太陽に追いたときに生じる。一年は太陽がその天球を横切ることによって生じる。」(39c)それから彼は言った:「あらゆる惑星は独自の運動をもっており、多くの人たちはそれに気付いていない。しかしこれらの一巡はすべて、完全年(al-sanah al-tāmmah)の完成というひとつの目的のためである。」(39c–d)
 ティマイオスはこの後に、こう言う:「動物には四つの種類があり、ひとつ目は天上のもの(al-samā’ī)、ふたつ目は飛んでいるもの(al-ṭayyār)、三つ目は水に棲み泳ぐもの、四つ目は大地の表面を歩くものである。創造主は天上のものの姿の大部分を火で作り、その〈理解力〉をもっとも強い一巡のうちに置いた。天上のもののあらゆる者は、自らによって運動する。大地は世界の中心に置かれた。天球のなかには、天球での現れ方の似ているべつの星々がある。」(40a–d)この文章で示されているのが、ある時に現れ、それから消え去る星々なのは明らかである。我々はそういった星を何度も見たことがあり、ヒッパルコス(ibarkhus)がその著作で、またほかの占星術師も述べている。

(4) (6)

*底本はKrausとWalzerの校訂版。
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ガレノス『ティマイオス敷衍』(4)

IV―創造主は世界のなかの魂を、分割されずつねに同じ状態に存続している実体と、物体のうちの分割されるものから作った。よって世界のうちに、つねに同じ状態に存続している実体の本性と、べつの実体の本性を作ったのだ。「分割されないもの」とは〈…〉という意味で、「物体に〈分割されるもの」〉とは、質料のうちの生得的運動という意味で、彼はすぐあとで、そのうちには永久性(al-azaliyyah)があると言っている。彼の意見によれば、もし魂が運動の始まりで、質料がそれ自体で運動するならば、質料が魂をもつことは明らかである。さもなくば質料のうちの魂は混乱し、定められた秩序によらず運動することになる。そのため、創造者(至高なる神に讃えあれ)は質料を整序と秩序に従わせようとして、質料のうちに、本性的につねに同じ状態に存続する魂を作ったのだ。
 それからティマイオスはこの話のあとに、世界の魂がどのようにしてその諸部分に、構成の比例に従って分割されるか描写し、そこで数値を示している。それを終えてから、こう言った:「創造者はその全体を縦にふたつの部分に分割し、両者を互いにもう一方に送り、両者の形がギリシア人の書物におけるش(shīn)の形、つまりXの形になるようにした。そして両者を折り曲げて、片方がもう一方とつながっているふたつの円になるようにした。」(36b–c)この文章で示されているのが、黄道の天球の円と、赤道の円であることは明らかである。また赤道の円の運動はすべての天球の運動と等しくない。この運動のなかには黄道の天球の円が含まれているので、創造主は外側の円を分割されないままにし、内側の円を六か所に分割し、それらから構成の比例に従って七つの天球を作った。魂の実体を分割するとき、彼はこの構成の比例について語った。彼が「七つの天球」で惑星の星々の天球を意図していることは明らかである。
そして彼は言った:「これら七つの天球のうち三つは、同じ速度で運動する。」(36d)つまり、太陽(al-shams)の天球、金星(al-zuharah)の天球、水星(ʻuṭārid)の天球のことである。しかし金星はこの名前で呼ばれず、彼はそれを夜明けの星(kawkab al-ṣubḥ)と呼んだ。そして外側の円を、同じ状態に存続しているものと呼び、内側の円を相互に異なるものと呼んだ。それから彼は、正しい思いなし(al-ẓann)と確信(al-yaqīn)が相互に異なるものの本性からいかにして生じ、知識(al-ʻilm)と知性(al-ʻaql)が同じ状態に存続しているものからいかにして生じるか明らかにした。

(3) (5)

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2016年6月23日木曜日

ガレノス『ティマイオス敷衍』(3)

III―この言説に続くのは、世界はただひとつであるというものだ。それにまた続くのは、創造者は世界が物体であることを命じ、確実に見られ、感覚されるものとして作った。見られるものは火がなければなく、感覚されるものは土がなければない。そのため、世界を火と土から創造したのだ。そしてそれらのあいだにべつのふたつのもの、水と空気を作った。なぜなら、単純な表面がひとつの媒介をもつように、物体化されたものはすべて、ふたつの媒介をもつのであり、これはエウクレイデスが(awqlīdus)明らかにしている。その実体から、世界を超えたものは残されなかった。なぜなら、創造主は世界がつねに、影響を受容しないものであり得るように作ろうとしたのだから。というのも、もし世界を外から取り囲む物体を、熱かったり冷たかったりなどする強力な物体が取り囲んでおり、不必要な仕方で世界に触れたならば、その物体は世界を解体し、それによって世界のうちに病気や老衰が生じ、崩壊してしまっただろうから。そのため創造者(至高なる神に讃えあれ)は、天の外周を、円くてすべすべしてどこも同じような物体として作った、それが手も足ももつ必要がないように。つまり世界を、他者を必要としないで自らで運動できるものとして作ったのだ。なぜなら、その外部には何もないのだから。同様に、それは目も鼻も両のくちびるもないのだ。

(2) (4)

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ガレノス『ティマイオス敷衍』(2)

II―私は言う。ティマイオスは、すべてのものにはふたつの第一の類(jins)があり、そのひとつは永遠の存在者で、もうひとつは絶え間ない生成者であると定めているのだから、彼は続けて「生成者はすべて、必ず何らかの原因によってのみある」(28a)と言ったが、そこに論証を与えてはいない。というのもそれは、知性によって明白なもののひとつなのだから。というのも、つねにひとつの状態にあるものは何であれ生成も消滅もせず、それを生成させる原因をもたないのだから。かつて在ったものはすべて、かつて作用因をもっていたのであり、生成のうちにあるものはすべて、現在の時間において作用因をもっているのだ。世界が生成のうちにあるということを、ティマイオスはすでに掛け値なしに認めている。なぜならソクラテスがそれを違う箇所の彼の訓練においてすでに明らかにしているのだから。そしてその生成が消え去ることのないか、始まりをもつかについて、彼は後の箇所で解説し、その生成は始まりをもつと言う。彼は言う:「真に世界[創造]の創造者の存在について、それを探求することは困難かもしれない。たとえ真にそれを見出したとしても、彼はそれをすべての人々に公表することはできない。」(28c)
 それから、創造者が世界創造をおこなった目的に注視して彼は言った:「創造者は世界がずっと存続するように作り上げた。それが明らかなのは、世界がいまあるよりも卓越した状態にあることは不可能だからであり、もし彼が世界にずっと存続するよう命じなかったなら、そのようではなかっただろう。」(29c)それから彼は第三の原因に注視した。それは世界創造を呼びかける者(al-dāʻī)で、それは完全なる者(al-tamām)、または世界がそのためにあるものと呼ばれる。それから彼はそれを、彼が述べたふたつのもの、つまり創造者と、世界創造がそれに基づいている彫像(timthāl)に付け加えた。そして彼は言った:「世界創造の原因は、神の寛大さである(至高なる神に祝福あれ)、そして寛大なる御方は嫉妬せず、いついかなるときも、いかなるものについても物惜しみしない。そのため、世界の創造を整序することができるように、秩序をもたずまったくばらばらに運動する物体的実体を整序しようと望んだのである。なぜなら、秩序付けられていないいかなるものも、知性なしでは秩序に戻ることができず、そのため創造者はこの実体のうちに知性を作ったのである。いかなるものも魂なしで知性をもつことはできない。そのため、世界が魂をもつようにして、それをつねに可能なものとして創造したのだ。」(29e–30b)

(1) (3)

*底本はKrausとWalzerの校訂版。
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