2016年7月14日木曜日

アッバース朝における論理学vs文法学

提唱者:アブー・サイード・シーラーフィー、アブー・ビシュル・マッター


「哲学」とは何だろうか?

私たちはそれが、じつは「ギリシア」に端を発するもので、一般的に我々が哲学と言って思い浮かべるものが、明治期になるまで日本とまったく関係ないところで発展してきたものだという事実に、しばしば気付かない。

たぶん、西周が作り出した「哲学」(本来は「希哲学」)という訳語が余りにも日本語としてしっくりきてしまったというのもあるだろう。

私はこの、日本における「哲学」の立ち位置を考えるとき、いつも思い浮かべるのが、ヒジュラ暦320年にバグダードにて、アッバース朝の大臣アブールファトフ・フラートのもとで開催された、アラビア語文法家アブー・サイード・シーラーフィーと論理学者アブー・ビシュル・マッター・イブン・ユーヌスとのあいだの討論である。

これはアブー・ハイヤーンによって報告されており、果たして「正確に」そのようなことが話されたのかはやや疑問の残るところだけど、なかなか迫真の内容が伝わっている。
(内容についても、いつか機会があれば紹介したいと思う。)

アブールファトフは320年第二ラービウ月(932年4月16日~)からズールカダァ月(~932年12月7日)に就任していたことは確かなので、この討論は932年の4月から12月のあいだに行われたことになる。
討論の場に居合わせた人物にかんしては、幾人かはその場にいなかったのではという疑問も呈されているが、おおむね「本当にこの討論が行われた」としても問題のない面子が出席していたようだ。

ことの発端は、アブー・ビシュル・マッターが大臣に、正しい知識を知るためには論理学を知らなければならないと主張し、大臣が居並ぶ廷臣たちに、アブー・ビシュル・マッターの言い分に反論してみよと命じたことである。

アブー・ビシュル・マッターは名前からも分かるように(分からないか?)、「マタイ」であり、シリア人のキリスト教徒である。イブン・ユーヌスも「ヨナの息子」なので、「ヨナの息子マタイ」である。

このように、10世紀ごろまでのアラビア語哲学の形成には、ギリシア語やシリア語の資料へのアクセスが可能なキリスト教徒たちがかなり重要な役割を果たしていた。

で、討論はどうだったのかというと、結論から言うと、アブー・サイード・シーラーフィーの勝利ということになったようだ。

まずアブー・ビシュル・マッターへの援護をしておくと、彼はひどい吃音の癖があり、さらにアラビア語があまり得意でなかったようだ。その上で居並ぶ敵対的な群衆の前で(いまほどでもないが、当時のバグダードでもキリスト教徒はマイノリティーだった)公開討論を行うというプレッシャーは相当なものだったに違いない。

ものすごく簡単に言ってしまうと、アラビア語文法家たちの言い分としては、哲学者、論理学者が主張している「論理学」なるものは、いわばギリシア語文法に過ぎず、アラビア語には適用できない、つまり各々の民族は各々の言語、論理、思考法をもっており、アラブ人にはアラビア語、ギリシア人にはギリシア語の思考が合っているだけで、べつにアラブ人がギリシア人の作った「ギリシア語文法」を、さも普遍的な思考のように有り難がる必要はない、というものだった。

でも、これはものすごく良く分かる。

イブン・シーナーも『治癒の書』の論理学の項目を見ていると、アラビア語とギリシア語の違いを何とか説明しようとしているし、より言語に堪能だったキンディーは、個別言語の違いにとても敏感だった。

たとえば、アリストテレスの論理学は、ギリシア語の思考法を基準にしているから、論理学で取り扱うのは現在形であり、未来と過去は取り扱わないとしている。
しかし、アラビア語の動詞は完了と未完了の二種類しかなく、そもそも「現在・過去・未来」という分け方をしない。

たしかにそういうところを見れば、当時のアラブ人たちが「なーんだ、お前たちが普遍的とか言ってるものは、ギリシア語でしか通用しないじゃん!」と思ったのも当然だよなぁと思ってしまう。

だから、哲学を人工言語派か自然言語派(or日常言語派)かで分ければ、ある時期までのアラビア語哲学は断然人工言語派である。

表面的な言葉尻の世界では、ギリシア語とアラビア語はまったく違う。
だから、アリストテレスの論理学がアラビア語でも成立するためには、哲学的に調整された言語を使用するしかなかったのだ。

もちろんその後、アラビア語やペルシア語での著作が増えてくると、自らの言語でのみ表現することのできる哲学が構築されてゆき、そういう12世紀以降の時代こそがアラビア語哲学の「黄金期」であるとされるのだけど、私が専門としている10世紀から11世紀辺りは、まだ「翻訳哲学」としての要素がかなり強かった。(その意味でも、イブン・シーナーは「翻訳哲学」から、真の意味での「アラビア語哲学」への転換点だったと言えるだろう。)

一方でラテン語の世界ではこういう齟齬が起きなかったのかは気になるところだけど、そもそもギリシア語に合うようにラテン語文法までも変えてしまったのだから、ラテン語とギリシア語は地続きという感覚が強かったのだろうか。
気になるところではある。

じゃあ果たして日本では?
たしかに自分も、「あんなの西洋語の言葉遊びでしか成り立たないじゃんか!」と思うことはしばしばあるし、何となくそれに納得がいかないこともある。
もちろんそれが魅力だったりもするんだけど。

個人的には人工言語派なんだけど、一見して魅力があるように映るのは自然言語派なんだよなぁ。
人間は、自分の母語を離れた普遍的言語で思考することは可能なのか?記号論理学を完全にものにした人たちや数学者は、日本語を離れて完全に人工の言語で思考しているのかなぁ。

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