2016年9月4日日曜日

モテ系哲学者?非モテ系哲学者?(非モテ系編)


モテとか非モテとか、最初に言い出したのは誰なんじゃろうなぁ…。

この世に生を受けた以上、いつかは垣間見てみたい、モテの向こう側。

しかし世の中には、「非モテ」になることを運命づけられた者たちも少なからずいて、それは哲学者であっても例外ではない。

哲学者や哲学専攻の学生は、どちらかというと非モテ系に親近感があるかもしれないが、かつてモテていたフランス現代思想系のように、「本人がモテている感」がハンパないというパターンもある。

第3回目となる今回は、ついに登場した「非モテ系哲学者」!

(第1回「モテ系哲学者」はこちら。第2回「かつてモテ系だった哲学者」はこちら。)

本論に入る前に、今一度整理しておこう。
一般人や哲学をあまり知らない人が哲学に触れるきっかけを与えてくれるような、キャッチーな言葉と絶妙な分かりやすさと難解さを併せ持った、いわば中二達の永遠の伝道者が「モテ系哲学者」。ニーチェとウィトゲンシュタインのツートップはおそらくしばらく不動だろう。かつてはそのような立場にあったにもかかわらず、いまは影響力が落ちていたり、微妙に「ダサい」扱いを受けているのが「かつてモテ系だった哲学者」。サルトルを筆頭に、フランス現代思想の面々はいまや概ねここに入るだろう。
そして、一般人にはどうにもアピールしないけど、専門家からだけはやけに高く評価されているのが「非モテ系哲学者」である。これを「専門家からだけモテている」と表現することも可能だけど、気を付けないといけないのが、専門家からのモテとは、一般人からのようなアイドル的なモテとは違い、「○○は重要だよね」といったモテ方である。なかには狭いジャンル限定でアイドル的な人気を誇る哲学者もいて、そういうのは特殊ジャンル:「マニアモテ系哲学者」に分類される。このマニアモテ系はたんなる「マイナー系」のこともあるし、一般的な認識は「古典系」だったりすることもある。しかし一旦そのジャンルに踏み込むと、まるで「モテ系」であるかのような扱いを受け、一般人や初心者は困惑することが多い。

今回紹介するような非モテ系は、そういった地下アイドルのようなモテ方をすることもなく、ただひたすら一般人からは「そんなひといたっけ?」とか言われ続け、専門家からは「○○は重要だよね」と熱量の低いモテ方をしている、非常にストイックな哲学者たちのことである!

なので、非モテ系哲学者が悩める高校生のための、哲学への登竜門になることは極めて稀である。ここに挙げられているような哲学者に憧れて哲学に目覚めたという高校生(かつての高校生)がいたなら、その人は相当の変わり者だと思った方が良い。

さて、そんな非モテ系だが、個人的にはこの哲学者を筆頭に推すことにしたい。
それは
エドムント・フッサール(1859–1938)
である。
フッサールほど、一般人の認識と専門家の認識が違う哲学者も珍しいのではないか。
現象学という学問を創設し、そこからはハイデッガーというモテ系の雄を輩出し、ほかにもサルトル、メルロポンティといった華やかな面々がフッサールの哲学に私淑している。また「かつてモテ系だった」の大先輩マックス・シェーラーを同僚とし、助手には女性哲学者エディット・シュタインが控えている。(彼女は後にトマス・アクィナスファンになってしまうが。)
しかし本人は至って地味である。
そもそも現象学者であっても、フッサール研究者以外はフッサールの著作をまともに読んでいない可能性が高い。(いや専門家は読めよ!と思うが。)
なぜフッサールが非モテなのかというと、いろいろ理由は考えられると思う。
まずモテ系の弟子と訣別してしまったが故に、大量にいるハイデッガーファンの方々が「フッサールの野郎はハイデッガー様に乗り越えられた」という認識を持ちやすいということ。(専門家はさすがにそこまで思わないだろうけど、あくまで一般的な認識、ね。)
また、著作がしっちゃかめっちゃかで、あまり体系的にまとまっていると言えず、しかも死後刊行の遺稿が大量にあること。まずこの「遺稿がいっぱい」という時点で、ちょっとした専門家も怯んでしまうのに充分だ。「え、フッサールについて何か言う場合は、あの大量の遺稿も読まなきゃダメなの?」と。
そして、まぁ日本的な理由としては、主著である『論理学研究』と『イデーン』に文庫版がなく、入手が難しいこと。『イデーン』がI-1, I-2, II-1, II-2, IIIというわけのわからない刊行形態になているため、初心者を無用にまごつかせていることが挙げられると思う。
それでも、フッサールが哲学史的に(現象学というジャンルを離れると幾分割り引かれるが)とても重要な仕事をしたことは、専門家であれば誰もが認めるところである。(ハイデッガー研究者でさえも。)
個人的な感覚としては、フッサールのとくに『イデーンI』なんかは、きわめて正統な西洋哲学の後継者であり、言うほど難解なイメージは受けないのだけど、やはり20世紀にも入って、これからは科学技術だなんだと言われている時代にあれは、相当地味だったんじゃないかと思われる。
とりあえず現状文庫で手に入るフッサールの著作が『デカルト的省察』と『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』という最晩年のもの、それに遺稿集『間主観性の現象学』というのをどうにかした方が良い。(もちろん文庫化されたからといって、フッサールがモテ系に変貌するかと言えば、その可能性は極めて低いが。)

ほかに非モテ系として挙げられるのは
ゴットロープ・フレーゲ(1848–1925)
チャールズ・サンダース・パース(1839–1914)
などであろうか。
フレーゲにしろパースにしろ、それぞれ分析哲学やプラグマティズムの創始者と言っても過言ではないのに、そもそも専門家以外からは見向きもされない。そもそも専門家も「フレーゲは大事だよね」「パースは大事だよね」と言いながら、フレーゲ研究者やパース研究者以外はあまりまともにとりあっていない、いわば敬して遠ざけている印象がある。

そうか、そもそもあるジャンルの創始者というのは、得てして非モテ系になりやすい傾向にあるのかもしれない。
フレーゲの場合はラッセル、パースの場合はジェームズというモテ系の傾向性を備えた弟子や紹介者をもち(この場合は二人とも弟子ではないが)、彼らの思想を一生懸命紹介しようとするのだけど、むしろモテ系の素養をもつラッセルやジェームズといった人たちの方が一般的にはモテて、本人たちは専門家から高い評価を受けるだけという状況が続いてしまう。
しかしラッセルにしろジェームズにしろ、そしてハイデッガーにしろ、偉大なる非モテ系の思想を世間に一生懸命広めようとしたはずだ。(ハイデッガーとフッサールの場合は「オメーの解釈は間違ってるんだよ!」の言い合いによって訣別してしまったが)

なぜフレーゲやパースはモテ系になることができなかったのだろうか?
この二人の場合、人格的にやや問題があったというのがあるが、人格的な問題ならウィトゲンシュタインの方がよっぽど問題あったし、ハイデッガー、ニーチェのような強烈なキャラがモテ系になっているわけだから、人格的な問題はモテ・非モテにあまり影響を与えないのかもしれない。(むしろ人格円満より、適度に人格破綻していた方が、悩める若者にヒットするかもしれない。)
まず挙げられるのは、フッサールの場合と同じように、著作全体の全貌が掴みにくいというのがあるかもしれない。フレーゲについてはまぁちょっと遺稿集が出ているぐらいだけど、みんな論文「意義と意味について」は参照するくせに、フレーゲの専門家以外はそれ以外の著作についてあまり知らなかったりする。パースも似たようなもので、『連続性の哲学』が岩波文庫に入っていたけど、それ以外の著作はアンソロジー『パース著作集』か最近出た『プラグマティズム古典集成』に当たるしかない。またパースの場合はフッサールと同じように、遺稿が大量にあって、いまだにちゃんと整理されていないというのも大きい。
フレーゲの場合、逆に「意義と意味について」ばかりが有名になりすぎて、他の著作が隠れてしまったという弊害があるかもしれない。余りにもひとつの著作や論文が有名になりすぎると、それ以外は見向きもされなくなるパターンだ。面白いのがバートランド・ラッセルで、彼は一般的には「かつてモテていた系」になると思うのだけど(イギリス本国での話)、分析哲学の研究者たちは「指示について」ばかりを参照していて、まるでフレーゲと同じような非モテ系の取り扱いをしていることだ。
まぁそもそも分析哲学というジャンル自体が、専門家による同好会、いわば一種の「巨大な非モテ空間」と言えないこともないが。(ラッセル、ウィトゲンシュタインといったモテの香りのする師弟コンビは、分析哲学の中では微妙に傍流だったりする。)

最後にもう一人、特殊なモテ方をしている哲学者を紹介しておこう。
それは
アレクサンドル・コジェーヴ(1902–1968)
である。
この人、世間的にはまったくの無名である。コジェーヴを読んで哲学に目覚めたという学生がいたら、その人は割と真剣に自分の置かれた環境と頭の状況を心配した方が良い。また、専門家たちも口をそろえて「コジェーヴは大事だよね」と言っているわけではない。20世紀初頭のフランスにおけるヘーゲル受容に興味のある研究者が注目しているぐらいである。あと、政治哲学なんかの研究者には割と注目されている。つまり、べつに研究者にも、そんなにモテていないのである。それではただの「マイナー系」かと思いきや、単純にそうとも言い切れないところがある。
なんとこの人、哲学者本人たちにモテているのである。
彼の主著と言えば『ヘーゲル読解入門――『精神現象学』を読む』である。
何ともパッとしない題名である。『論理哲学論考』!とか『ツァラツストラかく語りき』!とか『存在と時間』!のような強烈なインパクトがない。
題名を聞いても「あっ、ふーん」てなもんである。
しかし彼の講義には、後の20世紀フランス思想を彩る哲学者・思想家・文学者たちが出席していたのである。その名前を挙げると:レイモン・クノー、ジョルジュ・バタイユ、モーリス・メルロポンティ、アンドレ・ブルトン、ジャック・ラカン、レイモン・アーロン、ロジェ・カイヨワ、ミシェル・レリス、アンリ・コルバン、ジャン・イポリットなど。
もう20世紀の大スターたちである。
そんなモテ系スターたちにモテまくっていたのに、一般的には知名度が皆無に等しいし、専門家からもそれほど注目されているとは言い難い。
20世紀のヘーゲル受容にマルクス主義的な方向性を与え、戦後におけるフランスの左翼的思想潮流の流れにかなり強力な影響を与えたはずなのに、アーティスツ・アーティストみたいな存在。
そんなコジェーヴ、専門家のなかででも、もうちょっとモテて良いんじゃないかと思うけど、「このまま、違いが分かる人にだけひっそりと愛されるのも良いかな」なんて気持ちもちょっとあることは否めない。

まとめ

非モテ系哲学者は、一般人からほとんど注目されていないが、専門家からは「○○は大事だよね」といった、熱量の低いモテ方をしている。しかし専門家が口をそろえて大事だと言うからにはその根拠があるわけで、実際に哲学史的にはむちゃくちゃ重要だったりする。しかし何らかの理由により、その大事さにもかかわらず、一般にはあまり浸透していない、そんな無骨で骨太な哲学者たちが非モテ系なのである。
彼らの特徴をいくつか挙げるとすると、
・著作が厖大、未整理、遺稿が多いなど、全貌が掴みにくい
・しばしば各ジャンルの創始者だったりする
・弟子や紹介者にモテ系がいて、そっちの方にばかり注目がいく
・著作の日本語が少ないか、あってもハードカバーでバカ高い
などであろうか。
他にも悪文、文章が無味乾燥といったところがあるが、古典系の大御所にもそういう要素をもったのは割といて、そういう人たちは当時から非モテ系だったのかというと、逆に若者のハートをがっちりわしづかみにしていたパターンもあり、正直なところ悪文であるからといって非モテ系に分類されるとは限らない。(ヘーゲルなんて、当時の若者にはモテまくっていた。)

もしあなたが哲学好きな一般人だったなら、非モテ系哲学者から入るというのは少し勇気がいることだろう。そもそもこの手の哲学者の原典は翻訳が少ないか、あってもバカ高いハードカバーばかりで、「もし面白くなかったらどうしよう」とか、「相性が合わなかったらどうしよう」という心配がある人にお勧めしにくいのは確かである。但し専門家には熱量の低いモテ方をしているので、本格的な入門書、解説書は豊富にあったりする。また、高価な原典、無骨な文体、専門的な内容といった諸々の(決して低くない)ハードルをクリアしていくことができたなら、そもそも彼らの内容は哲学的に素晴らしいわけで、あなたの思考力をきわめてクリアに研ぎ澄ましてくれるだろう。とはいえ、そこまでして苦行僧のように読み進める読書体験が、すべての哲学愛好者に合うとは思わないので、精神的マゾヒストの人にだけお勧めする。遭難の危険性が高い、雪山登山のようなものだと思って戴ければ良い。途中で死ぬ可能性も高いが、昇り切った後の景色の素晴らしさは保証する。

もしあなたが哲学専攻の学生の場合、こういった非モテ系哲学者を選択するのは、ひとつの選択肢としてアリだろう。むしろ、こういう無骨な哲学者をガチガチに勉強するのは哲学的基礎体力の向上にも役立つし、モテ系哲学者を専門にしている奴らに、「フッ、お前らが神の如く崇めている哲学者も、しょせんはフッサールの手のうちで踊っているに過ぎん…」と密かな優越感を抱くことができる。但し、そういう奴らに「乗り越えられた」と反論された場合の反駁パターンはいくつか用意しておく必要がある。また場合によるが、非モテ系哲学者の場合、大量の遺稿が残っていたり、著作の翻訳が古かったりする割に研究者の数はそれほど多くないので、「遺稿の整理」「著作の校訂」「主著の和訳」など、研究者としてかなり本格的な仕事に携われる可能性が高い。非モテ系哲学者たちは、一般人へのアピールは弱いかもしれないが、専門家へのアピールは充分なわけで、噛めば噛むほど面白くなっていくことは保証できる。とはいえ、一般人に自分の専門を説明する際に、自分の期待したほどの反応が返ってこないことに耐えられるだけの平常心は鍛えておかないといけない。しかし心配する必要はない。こういった哲学者を専門に選ぶということは、あなたにも非モテ系の素養が充分にある可能性が高いので、一般人から「えー、誰それ?いたっけ?」といった反応をされても、「えぇ、まぁ、一般的には知名度ないんですけど、哲学史的には重要なんですよ」といった、熱量の低い弁明は難なく返せるであろうことを期待している。

次回は特殊ジャンル:マニアモテ系

2016年9月3日土曜日

モテ系哲学者?非モテ系哲学者?(かつてモテ系だった編)


祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす

思わず『平家物語』の冒頭を口ずさんでしまうほど、人間の世の中は儚いものである。
真理は永遠だと言いながら、それを探求する我々人類は、どうあがいても百年ぽっち。
かように人の世の移り変わりは激しいもの。
それがモテ・非モテともなると、その激しさは言うまでもない…。

モテ系・非モテ系哲学者第2回はかつてモテ系だった哲学者編である。
(第1回モテ系哲学者編はこちら

かつてモテていた…。世の中にこれほど空しい言葉があるだろうか。
飲み会でおじさんがかつてモテていた自慢を始めたとしたら、その結果は話を聞くまでもなく明らかである。場の空気がおかしくなって終わりである。

しかし今回は、その古傷を敢えて掘り起こすことにしよう…!
かつてモテていた…!
あぁ、これほど悲しい言葉があるだろうか!
一度もモテたことがないのに比べればマシと言われるかもしれないが、落差があるだけかつてモテていた方が悲惨度は高い。)

ここにおけるモテ系非モテ系の言葉の使い方については、第1回を参照してほしい。

さて、それでは始めようか…。

やはりかつてモテ系だった哲学者の筆頭は
ジャン・ポール・サルトル(1905–1980)
を措いてほかにいないだろう。
何しろ早瀬優香子のデビューシングル名は『サルトルで眠れない』(作詞:秋元康、86年)である。まぁ時代的にサルトルがもてはやされた全盛期は過ぎているけど(没後だし)、これまでアイドルのシングルのタイトルにまでなった哲学者がいただろうか…?(もちろんここでは揶揄的な意味が強いんだろうけど)

かつて大学生たちは分かりもしないサルトルをこれみよがしに鞄にいれておくのがオシャレだったというが、そのなかで果たして読破した人はどれくらいいたのだろうか…?
いまは文庫化されて入手のハードルがさがったとはいえ、主著『存在と無』の分厚さったらない。あれは見ているだけで読む気をどんどん削いでいく。
さすがに大学生たちが鞄に入れていたのは『存在と無』じゃなくて『嘔吐』とか『実存主義とは何か』あたりだろうか。
しかし現在の状況を見てみると、どうだろうか?
サルトルを読みたい!という若者は当時に比べてガクンと減ったと言わざるをえないだろう。
(いないとまでは言わないけど)

それでは、なぜサルトル人気がここまで凋落したのか?
思うに、サルトルの人気は、その著作というよりも、キャラ人気に依存していたところが大きかったのではないだろうか?
あの強烈な押し出しの顔面は、一度見たら忘れられない強力な印象を残すだろう。(ちなみにサルトルは一般的に言えば不細工だろうけど、アーティスト系の女性のなかには(しかも美人)、「私は彼の外見じゃなくて才能に惚れてるの」とアピールするために、こういう才能のある不細工とくっつく人が少なからずいるように思われる。実際サルトルもモテていたようだ。以上邪推。)
さらにボーヴォワールとの奇妙な事実婚。ボーヴォワールに関連したイメージもすべてサルトルに紐付けられるから、いやがおうにもサルトルの印象は強くなる。

また、第二次世界大戦後の時代の空気とも合致していたように思われる。
左翼の潮流が世界中で主流になっていたとき、アンガージュマンを叫んで活動する哲学者として、なかば運動家のようになっていたサルトルは、まさに「時代に愛された」と言えるだろう。
日本においても、60年代の大学生たちの左翼的空気を考えれば、サルトルの芸風(?)はベストマッチしていたのではないだろうか。

しかし、まぁ主著があの『存在と無』。
手許に置くだけでゴンゴン読む気が削がれていく『存在と無』。
結局サルトルという強烈なキャラがいなくなってしまうと、彼の思想そのものは若者たちを惹きつけるには難解すぎたということなのだろうか。
あと、時代と寝過ぎたために、その次の世代の若者からは「ダサい」と思われてしまったということもあるかもしれない。

まぁサルトルがかつてモテ系だった哲学者であることに異論のある人は少ないだろうけど、次のリストアップには反論のある人も多いのではないかと思われる。
それは
ジル・ドゥルーズ(1925–1995)
ミシェル・フーコー(1926–1984)
ジャック・デリダ(1930–2004)
の三人である。
デリダはいまでもモテてるぞー!と言う人もいるかもしれないが、やはり一時期の、デリダを良くしらない人も「脱構築」とか言っていた時期に比べると、プレゼンスはガクンと減ってしまったと考えて「かつてモテ系だった枠」に移ってもらった。
もちろんドゥルーズ、フーコー、デリダはモテていた時期が最近であるため、いまだに現役の研究者も多く、そのため関連本はいまでも多く出版されているけれど、じゃあいまでもモテてるかと言うと、ニーチェウィトゲンシュタインのように、悩める高校生の心をわしづかみにすることは少なくなってきたのではないか。

この三人が「かつてモテ系だった枠」に移ってしまった原因のひとつとして、フランス現代思想のブームがひと段落したということもあるだろう。(フランス現代思想はいまでもモテてるぞー!という声はひとまず無視)
浅田彰が『構造と力』を書いたのが1983年。バブル直前のこの時代から始まったフランス現代思想のブームが、ようやく30年ほどたって落ち着いてきたということだろうか。
そう考えると、モテ系として一般人にアピールし続けるためには、分かりやすい入門書や啓蒙書の存在も必要不可欠なのかもしれない。ウィトゲンシュタインだって最近の高校生人気は永井均経由だったりするパターンが多いので、もしかしたら千葉雅也の本を読んでドゥルーズに興味もつ高校生が今後でてこないとも限らない。
そうなると、逆に言葉の迫力だけで若者のハートをがっちり掴み続けているニーチェってホントにすごいな…。

さて、デリダはまだ現役でモテていると言う人がいるかもと上で書いたけど、この枠にはもう一方の境界線がある。
それは「かつてモテ系だったとすら言えないぐらい古くなった」パターンである。
たとえば戦前の学生たちの「デカンショ」の語源になった「デカルト」「カント」「ショーペンハウアー」なんかは(諸説ある)、もはや「かつてモテ系だった」とも言えないだろう。
個人的な判断では、デカルトとカントは「古典系」、ショーペンハウアーはいちおう「マイナーな古典系」に振り分けられる。(かつては一世を風靡した新カント派はほとんどが文句なしの「マイナー系」になってしまったし、ドイツ観念論もかなり怪しい。)
そう、「モテ系」の哲学者はその後「かつてモテ系だった枠」に移り、その移行期間を経たのちに「古典系」になるか、ただの「マイナー系」になるかが分かれるのである。(非モテ系はそれとは別の流れを辿ることになる。)
そう考えると、サルトルやフランス現代思想の面々は、今後古典系にいくかマイナー系にいくかの試験期間に入ったと言えるだろう。(我々が生きているあいだはまだ「かつてモテ系だった枠」に留まり続けるかもしれないが。)

もちろんかつてはモテていた哲学者たち、ほかにもいっぱいいると思われる。
日本だと吉本隆明や浅田彰がそうだろう。柄谷行人は…どうだろうか?
また、日本ではそもそもモテていたかどうか怪しいが、イギリスにおけるバートランド・ラッセルなんかはこの枠に入るんじゃないだろうか。

まとめ

かつてモテ系だった哲学者は、やはり一度はモテ系だったこともあるため、基本的にはモテ系の要素を満たしていることが多い。しかし彼らがモテ系に留まることができなかったのにも、いくつか理由があるはずだ。
考えられるものとして、
・キャラ人気が先行し過ぎた。
・時代の空気とあまりにもピッタリ合致し過ぎた。
・優秀な紹介者がいなくなった。
などの理由が考えられるだろう。
三つ目は地味に大きな役割を果たしているのかもしれない。

もしあなたが哲学好きな一般人だったら、かつてモテ系だった哲学者から入るのもいいだろう。とにかく一度はモテていたわけで、その分関連書籍なども多く、いろんな入口が用意されているからだ。しかしあなたが高校生や大学生などの若年であれば、少し気を付けた方が良い。かつてモテ系だった哲学者には、もれなく「口うるさいオールドファン」がくっついているため、必然的に彼らの相手をする機会が多くなるからだ。でも安心して欲しい。そういうオールドファンの大半も、ブームに乗っかって彼らをかじっていただけで、ちゃんと読了し、しかも理解している人となると意外と少ないからだ。若いあなたが本気出して読めば、彼らがテキトーなことを言っていることはすぐ分かるだろう。とはいえそういうオールドファンの偉そうな口ぶりの裏には屈折した愛情が隠れているため、出来る限り優しくしてあげて欲しい。

もしあなたがかつてモテ系だった哲学者のオールドファンだったなら、これと逆のことに気を付ければいいだけだ。かつては高価だった原典も、いまは文庫化されて手に入りやすくなっていることが多い。あのときはサッパリ分からなくて、カッコいいキーワードだけで友達と議論していたかもしれないが、いまのあなたには経験も分別も加わっているはずだ。もう一度原典をひも解いてみると、かつては気付かなかった彼らの魅力を再発見できるかもしれない。かつての青春の思い出が、ビリー・バンバンの曲とともに(またはH2Oの曲とともに)蘇ってくるだろう。

もしあなたが哲学専攻の学生の場合、こういうかつてモテ系だった哲学者を自分から選ぶパターンと、自分の指導教官がその哲学者の専門家のパターンがあるだろう。
どちらの場合も先行の文献が多く、はたしてどれを読めばいいか分からなくなることがあるかもしれない。しかも大学院に入り学会発表などする場合、あなたが対峙しなければならない「口うるさいオールドファン」は遥かに手ごわい。なにしろプロのオールドファンなのだ。しかし彼らも、「いまどきサルトルなんてやる学生いないよ?」なんて言いながら、実は心のどこかで喜んでいたりする。「ケッ!オメーの解釈は古いんだよ!」などと思わずに、有り難く教えを乞うのがいいだろう。何事もあらまほしきは先達である。
指導教官が専門家の場合は、すこし事情が複雑になる。きっちり指導教官のもとでその哲学者を学ぶのであれば、最高の教育環境が提示されるだろうが、なかには自分の解釈以外の路線を学生が採ることを嫌う先生もいる。その場合は、完全に指導教官に屈するか、口では従っておきながらテキトーに流しておくか(論文審査で大惨事になるかもしれないが)、大げんかするか、研究室を変えるか、そもそも違う哲学者に専門を変えるかという選択肢がある。
しかしまぁ最近はそんな徒弟制度のような大学院も減ってきているので、たいていはかつてモテ系だった哲学者の専門家として、よきアドバイスをくれるだろう。(その解釈が古くても、笑顔を絶やさないように!)

2016年9月2日金曜日

モテ系哲学者?非モテ系哲学者?(モテ系編)


みなさん、もうお気づきのことかと思うが…。

この世には、モテ系と非モテ系が存在する。(つまり排中律だ。)

あっ!現実から目を背けないで!

なんだかんだ言ってもモテ・非モテの構図は大きく、哲学の世界にもこの分類を当てはめることができると、私はつねづね考えていた。
そう、真理とか深淵とか言っている哲学者たちもモテ・非モテの構図から自由にはなっていないのだ…!

今回は哲学者のなかでもモテ系非モテ系な奴らを紹介してみようと思う。

第一回目はモテ系哲学者編だ!

注意書き
しかし断っておかないといけないが、ここで言う「モテ系」とは、その哲学者が実生活においてどの程度異性(や同性)にモテていたかという意味ではない。
哲学をまったく知らない一般人が「おー、哲学って面白そうだな」とか「この人の本を読むために大学で哲学を学んでみたい」と思わせるような魅力をもっている哲学者を私は「モテ系哲学者」と定義する。しかし時代の流れとは恐ろしいもので、この世には「かつてモテ系だった哲学者」というのも大量に存在する。そのなかには、いまでもそれなりにモテる要素が理解できる哲学者と、なんであんなに熱狂されていたのかさっぱり分からない哲学者もいる…。
逆に「非モテ系」とは、一般人にほどんどアピールせず、もっぱら専門家にばっかりモテている哲学者のことで、彼らのことを「非モテ系哲学者」と定義する。なので、誰にも注目されない(専門家にすら)哲学者のことは指さない。それはモテ・非モテのフィールドにすら上がれない、ただの「マイナー哲学者」である。(とはいえ、専門家からのモテは、一般人からの「キャー!」というモテと違って、「○○は重要だよね」といった風なモテ方である。たまに各ジャンル内限定でモテているという、特殊ジャンル「マニアモテ系哲学者」もいて、この辺りの取り扱いは注意しなければならない。)ほかにも、もはやモテ・非モテすら超越した「古典系哲学者」もいる。ここまでくれば大丈夫、あとは歴史があなたを愛してくれる。

能書きも垂れたところで、さぁはじめようか…!

やはりモテ系哲学者といえば、この二人を挙げなければならないだろう。

フリードリヒ・ニーチェ(1844–1900)
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889–1951)

いまだに「ニーチェ読んで哲学科に来ました」とか「ウィトゲンシュタインにハマって世界について考えるようになりました」とか言う大学生がいるらしいというのですごい。
そして実際にそういう高校生にも何人も会ってきている。
(ただし、ウィトゲンシュタインにハマる学生の半分以上は永井均経由だったりする)

しかも女子学生の比率も結構高いという。
非モテ系の研究者からすると、ちょっと信じられない話じゃないだろうか。
このアピール具合はやはり侮れない。

やはり二人とも、アフォリズム的な言い切りの魅力があるのだろう。思うにこの「モテ系」に入れるかどうかは、「言い切りのカッコよさ」があるかどうかが大きな要素になっているのではないか。
やはり「神は死んだ!」なんて言われると、高校生あたりは「そうだぜ!神は死んだぜ!」と思っちゃうのだろうか。
はたして『ツァラツストラかく語りき』なんていったい何回訳されてるんだ?
個人的には『ツァラツストラ』よりも『喜ばしき智慧』の方が好きではあるが。
しかしニーチェはそもそも24歳で西洋古典学の教授になるぐらい、もともと「ゴリゴリ」の人なので、フリーダム(フライハイト?)になってからのニーチェに惹かれていきなりニーチェの真似をしようとすると、結構大けがする可能性が高い。
基礎をがっちりやってきた達人が「基礎なんてくだらねーぜ!インプロだぜ!自分の情熱にしたがえ!」と言ってるのを真に受けちゃう初心者、みたいな。

ウィトゲンシュタインも『論理哲学論考』の切り詰めた現代芸術のような緊張感と、『哲学探究』のアフォリズムの魅力と、「モテ系」になるための条件をキッチリ備えている人なのだけど、その分奥が深いというか難しいというか、学生が生半可に手を出すと焼死してしまう可能性が高い。
しかも『論理哲学論考』で「哲学は最終的に解決した!」と大見得を切っておきながら、「ぜんぶ間違っていた」と言って出戻ってくる辺り(べつに謝ったりしないところがミソ)、ウィトゲンシュタインのファンからすると萌えポイントなのだろう。
ウィトゲンシュタインは前期と後期でまったく言っていることが違うので、研究者は前期と後期の違いとかを云々するけど、哲学愛好家であればそういうことは気にせず、『論理哲学論考』も『哲学探究』もアフォリズム的に楽しんでしまって問題ないだろう。

個人的には両雄とも甲乙つけがたしなのだけど、本屋での関連書籍の量からするとニーチェに軍配が上がるのだろうか。

しかしこの二人がもっともモテ系ということは、やはり哲学者というのは「こじらせてナンボ」なところあるのだろうか。
冷静に論理的に論証するスタイル、初心者受けは悪いか。
やはり寝技で地味に相手を攻略していくより、打撃で派手にやる方が初心者的にも入りやすいのと同じか。

次点として
マルティン・ハイデッガー(1889–1976)
が挙げられるだろう。
ハイデッガーの魅力もその文体だと思うが、ハイデッガーの場合、アフォリズムによる言い切りの魅力というより、ものすごく粘度の高く、まるでトルコアイスのようにくっついて離れない粘着質の文章がむしろ魅力になっていると思われる。
またハイデッガーが凄いのは、主著とされる『存在と時間』が難解なゴシック建築だとしたら、彼の講演録はまるで流れる名調子を聞いているかのような名文だということだろう。
逆に考えると、あれだけ明晰なことを講義で言える人が、いざ文章を書こうとするとぜんぜん書けなくなってしまうというのも不思議ではあるけど…。(『現象学の根本問題』、『形而上学入門』など、やっぱりねちっこいんだけど、素晴らしい。)
ハイデッガーのすごいところは、最初に壮大な計画を提出して、その詳細な見取図をみんなに見せてワクワクさせておきながら、途中で「やっぱ続きやーめた」とすることだろう。(しかも常習犯)
普通はこれで「ふざけんな!」となるもんだけど、ハイデッガーの場合はそうならない。『存在と時間』なんて前半の1/3ぐらいしか書かれてないのに「未完の大著」扱いしてくれる。ほかの哲学者が同じことやったら「構想倒れ」とか言われるよ?(まぁハイデッガーも言われてるけど)
やってることは『ハンターハンター』や『ファイブスター物語』と同じである。

しかしハイデッガーも、哲学をやろうとする学生は気を付けないといけない。ハイデッガーを専攻する学生はなぜかハイデッガーのような文章を書き始めて、ひとりで袋小路に入るというパターンが…。
またこの人は、現実世界でもモテ系だった。(余談だが)

ほかにもモテ系哲学者を挙げることはできるだろう。(社会学分野でのハンナ・アーレントとか、日本だと永井均、池田晶子とか?但し個人的に池田晶子にはそこまで「深み」は感じないが。)
ただし、ニーチェ、ウィトゲンシュタインを超える哲学者はしばらく現れないだろう。

まとめ

モテ系哲学者はその定義通り、哲学に詳しくない一般人や学生を惹きつけるだけの魅力を備えた存在であるが、逆に哲学を専門に学ぼうとする学生にとっては底なし沼、いわばズルズルと哲学者の魅力だけにはまり込んで、そのまま思索の海に溺れてしまう危険性が非常に高い、とてもリスキーな存在であると言えよう。
そしてモテ系になるために必要な要素として

・アフォリズム的な言い切りがカッコいい
・文章が美しいor難解である(何度も読みたくなる)
・分からない、分からないようなモヤモヤとした気にさせる。
・既存の哲学を破壊・再構築しようとしている(とくに破壊に重点を置いている)

辺りが挙げられるだろう。これらの要素のうちいくつかをもっていれば、モテ系になる資格はある!

もしあなたが哲学好きな一般人であれば、モテ系哲学者から入るというのはひとつの選択肢としてアリだろう。(むしろそれ以外の非モテ系や古典系から入ると、途中で挫折する可能性が高いので、ある意味「哲学愛好者にとっては」もっとも安全な入口と言えるかもしれない。)
なにしろモテ系哲学者は読んでいて面白いし、それだけの深みがあるからだ。関連書籍も多いので、原典、研究書、解説書、入門書に困ることはないだろう。

逆にあなたが哲学専攻の学生の場合、もしあなたが学部で終えるつもりなら、モテ系哲学者たちはあなたの若い情熱を正面から受け止めてくれるだろう。若き思索の衝動にまかせて書きなぐった卒論は、いつかあなたの青春の思い出として、美しくあなたの記憶の1ぺージにおさまってくれるだろう。
もしあなたが大学院に進んで、その哲学者を専門に研究しようとするなら、モテ系哲学者には注意せよ。将来「哲学者」になるつもりならまだしも、大学院に進むということは「哲学研究者」としての修業も積まないといけないということだ。あなたは「哲学」をしたかったのであって、「哲学研究」をしたかったわけではないと思うかもしれないが、大学院に進むというのは、初期衝動とサヨナラするということでもある。速やかに「哲学研究」も進めないと、神じゃなくて自分が死ぬ可能性がある。しかしモテ系哲学者は何だかんだいって、哲学に興味のなかった人を惹きつける魅力があるわけだし、最後まで到達することができたなら、その頂きからの眺めはきっと素晴らしいことだろう。(そのとき、モテ系哲学者という梯子は不要になり、あなた自身がモテ系哲学者になるのだ。)

2016年9月1日木曜日

イブン・シーナーが読んでいたと思われる註釈の状況

イブン・シーナー/アヴィセンナといえば、一昔まえまでは「アリストテレスの註釈を書いた」なんて書かれることも多かった。

この「註釈」という言葉、いろいろ定義は細かいので今回は省くけれども、あくまでも基となるテキストがあって、それにコメントを付ける(何しろcommentaryというのだから)というスタイルだと考えてもらえれば問題ない。

アリストテレス(BC322歿)からイブン・シーナー(980生まれ)に至るまでのだいたい1300年のあいだに、それはもうたくさんの註釈が書かれてきた。

なんとなく、現代の価値観だとオリジナルを書くのが一流で、註釈、コメントは二流というイメージがあるかもしれないけれど、それは現代人の早とちり。むしろ伝統にしっかり依拠しているかどうかというのがとても大事だったりする。

現代の研究論文だって、「完全にオリジナル」な文章はなかなか受け入れられなくて、「出典」「引用」を付けて根拠を示さないと、論文として認められにくいけど、それと同じかもしれない。

じゃあイブン・シーナーはどんな註釈を読んでいたかということだけど、これは完全には分からない。但し、当時のアラビア語世界で流布していたものや、彼自身がコメントで書いているものなどから、ある程度まで絞り込むことができる。

以下では、彼が読んでいたと思われるアリストテレスの『魂について』への註釈が、とりわけアラビア語にかんしてどうなっているか、概観してみたいと思う。(最初に言い忘れていたけれど、中世のアラビア語哲学において、註釈がこんなに大量に書かれたのは『魂について』がダントツじゃなかろうか。そして私は『魂について』以外の状況については余り詳しくないのだ。)

・アフロディシアスのアレクサンドロス(200頃)
彼については、そもそも『魂について』の註釈がギリシア語で現存していないという問題がある。註釈ではなく、彼のオリジナルの『魂について』はギリシア語で現存しているが、こちらのアラビア語訳は現存しない。むしろ『魂について補遺』とでも言うべきMantissaの一部を抜粋した『知性論』が流布し、こちらはアラビア語訳が現存する。イスハーク・イブン・フナイン訳。校訂者Finneganによると、この『知性論』、西方イスラーム世界に比べて東方ではあまり流布していなかったんじゃないかと言っているが、そうでもないようだ。しかし、イブン・シーナーによるアレクサンドロスへの言及などを吟味してみると、アレクサンドロスの意見じゃないものも混じったりしているようで、その全体像が綺麗に伝わっていたかどうかは疑わしいかも。
ほかにも、ギリシア語では散逸してアラビア語でのみ残っている作品も多く、アレクサンドロスを研究しようとする人たち(いるのか?)にとっては、結構うっとうしい存在であると言える。

・テミスティオス(317–390頃)
彼の『魂について』註釈はほぼ完全なアラビア語翻訳が残っている。イスハーク・イブン・フナイン訳。アレクサンドロスの『知性論』なんかに比べて量も多く、ある意味アリストテレス『魂について』の副読本としても読まれていたと考えていいのではないか。それぐらいアラビア語世界では重要。イブン・シーナーもかなりテミスティオスを下敷きにしていると思われる。
そもそもアリストテレスの『魂について』のアラビア語訳自体がいろいろ問題含みなので、「アリストテレスの代わりに教科書的に読まれた」「乗り越えられるべきドグマとしていろいろ批判される」など、ラテン語世界におけるイブン・シーナーの『治癒の書』と同じような読まれ方をされたのかも。
とはいえ、テミスティオスは能動知性内在説で、あれだけアラビア語世界で読まれた割には能動知性内在説を採る人が少ないのは不思議ではある。

・ヨハネス・フィロポノス(490–570)
この辺りからこんがらかってくる。
まずフィロポノス『魂について』註釈は、そもそもギリシア語がおかしなことになっている。テキストは現存しているのだけど、第3巻(表象や知性を論じる、中世ではいちばん重要なところ)のギリシア語として現存しているのは、じつはフィロポノスの弟子ステファノスによるものだとされていて、フィロポノス本人のテキストは、ラテン語訳でのみ現存しているのだという。
しかしこのフィロポノス『知性論』(De Intellectu)は第3巻の第4章から第8章までの翻訳なので、第3巻の第1章から第3章、第9章から第13章までのフィロポノスのオリジナルは散逸してしまっているということになる。(つまりフィロポノスの表象論は散逸しているということ。)
そしてこのフィロポノス『魂について』註釈のアラビア語訳は存在しない。かつて存在したのに散逸したのか、そもそも翻訳されなかったのかも定かではない。とはいえ、イブン・シーナーはフィロポノスの名を挙げているし、彼の議論を見ると、明らかにフィロポノスを知っていた、そしておそらく読んでいたことは確かである。

・アレクサンドリアのステファノス(6世紀から7世紀)
もうここまで来ると、普通のひとには「誰だこいつ?」といったところだろう。
ステファノス自身の名前を冠している註釈としては、アリストテレスの『命題論』への註釈があるが(これもアラビア語世界に影響を与えている)、上にも述べたように、フィロポノスのものとして伝わっている『魂について註釈』のギリシア語テキストの第3巻は、このステファノスのものだという。なんともややこしい。しかもややこしいことに、アラビア語世界には、こちらの、いわば「擬フィロポノス=ステファノス」のテキストも伝わっていたと考えられる。しかも、こちらもアラビア語訳は現存しない。
形はゼロなのに影響ばかりあるとか言われてもどうするんだと思うけれど、伝わってしまっているから仕方ない。なのでイブン・シーナー(に限らず当時のアラビア語世界の人)が「フィロポノス」と言っているときは、フィロポノス本人のことを言っているのか、ステファノスの方を言っているのか気を付けないといけない。
この頃になると後期古代のアレクサンドリアの栄光はだいぶ翳りが見えてきて、641年には新興のイスラーム帝国の手に陥落する。Charltonによればステファノスの文章はきわめて保守的で、そこからは激動の時代に背を向け、古典の世界にのみ生きる絶滅危惧種の朴訥な教師像が浮かび上がってくる。ステファノス自身はキリスト教徒だったらしいが、註釈では同時代の出来事には全くと言っていいほど触れられておらず、まさに象牙の塔に籠りきっていたのかもしれない。

2016年7月22日金曜日

本当の自分はすっぱだか?

提唱者:イブン・シーナー

テキスト:『治癒の書』「魂について」

本当の「自分」って何だろう?

「私」の範囲をどこに設定するかというのは、昔の哲学者にとっても大きな問題だった。

「私」=「自分」=「私そのもの」だとすれば、私がいつも着ているお気に入りのシャツは私に含まれるのだろうか?いつも履いている靴は?

いつも眼メガネをかけている人にとって、メガネは自分を構成する要素と言えるかもしれない。

しかし、イブン・シーナーはその範囲をかなり狭く設定する。

これらの肢部(=手足のような身体器官)は、実際には衣服のようにして我々にそなわるにすぎないのに、つねに我々に付着しているため、我々から見ると、我々の部分のようになっている。我々が自分自身を想像するとき、裸体で想像することはなく、身にまとう物体をともなった姿で想像する。その原因は恒常的な付着だが、しかし衣服については、肢体にあっては慣れていない剥ぎ取りや脱ぎ捨てに我々が慣れているため、肢体は我々の部分だという考えの方が、衣服は我々の部分だという考えよりも強固なのである。
イブン・シーナー『魂について 治癒の書 自然学第六篇』(木下雄介訳)知泉書館、2012, p. 294.

 つまり、イブン・シーナーによれば、私たちは普段「私」を想像するときに、服を着た姿で想像する。これは、(大抵の場合、)通常人間は服を着ているからであるが、それでも私たちはその服が自分自身ではないことを分かっている。
それと同じように、私たちに備わっている身体の器官も、本当は私じゃないのに、身体がつねに私に付着しているため、あたかもそれが「絶対に脱げない服」のようになっており、身体が私たちの本質に含まれると勘違いしてしまうのだ。

イブン・シーナーはこれを、空中人間説という独特な思考実験によって説明しようとする。

彼によると、人間の本質とは「魂」(現代的な言い方をすれば心)であり、身体の方は、いわば絶対に脱げない服のようなものであり、私を構成する本質の一部ではないのだ。

だから、本当の自分はすっぱだかどころか、身体をまったくもたないのだ。

これは一見すると理に適っているように思われるかもしれないけど、現代人からすると、ちょっと納得のいかない部分も多いだろう。

たとえば、メイクを日常的にしている人からすれば、メイクをした顔の方が本当の顔のように思えるだろうし、身体が変化することによって「自分」も刻一刻と変化していってるように思えるんじゃないだろうか。

風邪をひいたとき、体調の良いときで、「私」は違うように感じられるだろうし、落ち込んでいるときと嬉しいときではまるっきり別人になっているように思われるだろう。

10歳のときの自分と20歳のときの自分、30歳のときの自分は同じだろうか?

なんとなくイブン・シーナーの言っている「私」の説明は違うように思えないだろうか?

そう思うのは、彼が考える「自分」と、私たちが考える「自分」が違っているからだろう。

イブン・シーナーは基本的に「個物」に関心がない。彼が哲学的考察の対象とするのは、あくまでも一般概念である。

だから、ここでイブン・シーナーが問題にしているのは、いまここにいる私やあなたではなく、あくまでも「人間」一般なのである。

あなたが嬉しかろうか悲しかろうが、10歳だろうが80歳だろうが、「人間」としてのあなたは変わりないはずだ。

事故にあって片足を失ったら、たしかにそれ以前とそれ以降の私の自己認識は変わるだろうけど、あくまでも「人間」として見た場合、手足がなくなろうとも、目が見えなくなろうとも、「人間」であることには変わりない。

そういった意味で、イブン・シーナーは「私たち」の本質は身体にない、と言ったのである。

だから、個々の私やあなたの、唯一無二の身体性を伴った「私」が、身体の変化に連動して変化することそのものを、イブン・シーナーは否定しないだろう。
ただ、そこで感じられている「私」は、彼にとって学問の対象ではなく、あくまでも「人間」一般こそが論じられるべきだというのだろう。

こういう態度は、個々人のケーススタディをする学問を知っている現代人からすると奇妙なものに思われるかもしれないけれど、あくまでも「普遍学」こそが学問だという、イブン・シーナーのある意味「科学的」な態度も、個人的にはなかなか悪くないように思ってしまうのだ。

2016年7月14日木曜日

アッバース朝における論理学vs文法学

提唱者:アブー・サイード・シーラーフィー、アブー・ビシュル・マッター


「哲学」とは何だろうか?

私たちはそれが、じつは「ギリシア」に端を発するもので、一般的に我々が哲学と言って思い浮かべるものが、明治期になるまで日本とまったく関係ないところで発展してきたものだという事実に、しばしば気付かない。

たぶん、西周が作り出した「哲学」(本来は「希哲学」)という訳語が余りにも日本語としてしっくりきてしまったというのもあるだろう。

私はこの、日本における「哲学」の立ち位置を考えるとき、いつも思い浮かべるのが、ヒジュラ暦320年にバグダードにて、アッバース朝の大臣アブールファトフ・フラートのもとで開催された、アラビア語文法家アブー・サイード・シーラーフィーと論理学者アブー・ビシュル・マッター・イブン・ユーヌスとのあいだの討論である。

これはアブー・ハイヤーンによって報告されており、果たして「正確に」そのようなことが話されたのかはやや疑問の残るところだけど、なかなか迫真の内容が伝わっている。
(内容についても、いつか機会があれば紹介したいと思う。)

アブールファトフは320年第二ラービウ月(932年4月16日~)からズールカダァ月(~932年12月7日)に就任していたことは確かなので、この討論は932年の4月から12月のあいだに行われたことになる。
討論の場に居合わせた人物にかんしては、幾人かはその場にいなかったのではという疑問も呈されているが、おおむね「本当にこの討論が行われた」としても問題のない面子が出席していたようだ。

ことの発端は、アブー・ビシュル・マッターが大臣に、正しい知識を知るためには論理学を知らなければならないと主張し、大臣が居並ぶ廷臣たちに、アブー・ビシュル・マッターの言い分に反論してみよと命じたことである。

アブー・ビシュル・マッターは名前からも分かるように(分からないか?)、「マタイ」であり、シリア人のキリスト教徒である。イブン・ユーヌスも「ヨナの息子」なので、「ヨナの息子マタイ」である。

このように、10世紀ごろまでのアラビア語哲学の形成には、ギリシア語やシリア語の資料へのアクセスが可能なキリスト教徒たちがかなり重要な役割を果たしていた。

で、討論はどうだったのかというと、結論から言うと、アブー・サイード・シーラーフィーの勝利ということになったようだ。

まずアブー・ビシュル・マッターへの援護をしておくと、彼はひどい吃音の癖があり、さらにアラビア語があまり得意でなかったようだ。その上で居並ぶ敵対的な群衆の前で(いまほどでもないが、当時のバグダードでもキリスト教徒はマイノリティーだった)公開討論を行うというプレッシャーは相当なものだったに違いない。

ものすごく簡単に言ってしまうと、アラビア語文法家たちの言い分としては、哲学者、論理学者が主張している「論理学」なるものは、いわばギリシア語文法に過ぎず、アラビア語には適用できない、つまり各々の民族は各々の言語、論理、思考法をもっており、アラブ人にはアラビア語、ギリシア人にはギリシア語の思考が合っているだけで、べつにアラブ人がギリシア人の作った「ギリシア語文法」を、さも普遍的な思考のように有り難がる必要はない、というものだった。

でも、これはものすごく良く分かる。

イブン・シーナーも『治癒の書』の論理学の項目を見ていると、アラビア語とギリシア語の違いを何とか説明しようとしているし、より言語に堪能だったキンディーは、個別言語の違いにとても敏感だった。

たとえば、アリストテレスの論理学は、ギリシア語の思考法を基準にしているから、論理学で取り扱うのは現在形であり、未来と過去は取り扱わないとしている。
しかし、アラビア語の動詞は完了と未完了の二種類しかなく、そもそも「現在・過去・未来」という分け方をしない。

たしかにそういうところを見れば、当時のアラブ人たちが「なーんだ、お前たちが普遍的とか言ってるものは、ギリシア語でしか通用しないじゃん!」と思ったのも当然だよなぁと思ってしまう。

だから、哲学を人工言語派か自然言語派(or日常言語派)かで分ければ、ある時期までのアラビア語哲学は断然人工言語派である。

表面的な言葉尻の世界では、ギリシア語とアラビア語はまったく違う。
だから、アリストテレスの論理学がアラビア語でも成立するためには、哲学的に調整された言語を使用するしかなかったのだ。

もちろんその後、アラビア語やペルシア語での著作が増えてくると、自らの言語でのみ表現することのできる哲学が構築されてゆき、そういう12世紀以降の時代こそがアラビア語哲学の「黄金期」であるとされるのだけど、私が専門としている10世紀から11世紀辺りは、まだ「翻訳哲学」としての要素がかなり強かった。(その意味でも、イブン・シーナーは「翻訳哲学」から、真の意味での「アラビア語哲学」への転換点だったと言えるだろう。)

一方でラテン語の世界ではこういう齟齬が起きなかったのかは気になるところだけど、そもそもギリシア語に合うようにラテン語文法までも変えてしまったのだから、ラテン語とギリシア語は地続きという感覚が強かったのだろうか。
気になるところではある。

じゃあ果たして日本では?
たしかに自分も、「あんなの西洋語の言葉遊びでしか成り立たないじゃんか!」と思うことはしばしばあるし、何となくそれに納得がいかないこともある。
もちろんそれが魅力だったりもするんだけど。

個人的には人工言語派なんだけど、一見して魅力があるように映るのは自然言語派なんだよなぁ。
人間は、自分の母語を離れた普遍的言語で思考することは可能なのか?記号論理学を完全にものにした人たちや数学者は、日本語を離れて完全に人工の言語で思考しているのかなぁ。

2016年7月11日月曜日

「すべての始原は水である」と「水!」


提唱者:タレス、アリストテレス、イブン・シーナー、井上忠

テキスト:『形而上学』、『治癒の書』「入門篇」、『根拠よりの挑戦』

日本を代表する哲学者のひとり(?)、井上忠、通称イノチュウは独特の言語感覚をもっており、彼の著作はどれもが「読むドラッグ」とでも言うような酩酊感を引き起こすものだけれど、初期の代表作『根拠よりの挑戦』の冒頭の論考において、彼は以下のように言っている。

こうした空寂の裡に、突然、
「タレス、このかような意味での哲学(ピロソピア)の創始者(アルケゴス)は、水だ、と言う」
との宣言が炸裂する。この言葉が、ただこの一句が、アリストテレス全著作、ひいては全西洋哲学史を貫いて、哲学の開落を告げている。それはあたかも、タレスの水の叫びが、体系めく理論の姿も、説明も纏わず、ただ一つの言葉として、アリストテレスの愛智探求の途に突如響交いわたった驚異の瞬間を、まざまざと示す如く、一瞬のうちにタレスの不動の位置を決定したものである。(……)
万有の始原・原理は何か、との問いがまずあったのであろうか。万有の原理という、この思想が、「水!」以前にあったのであろうか。アリストテレスの筆の運びは明らかに、「万有の存するはそれからであり、すべてがそれから生じ来る第一なるものであり、また終にはそれへと消滅しゆく窮極なるそれ(そこではそれが本当に有ることの所以〔その実体〕は、そのままそれらすべての基(もと)に〔基体として〕とどまっていて、ただそれの受ける様々な様態(パトス)においてのみその転化すなわちその生滅変化が現れる)、こうしたそれを、ひとびとはものの構成要素(ストイケイオン)であり始原(原理)(アルケ)であると言う」と述べたあとを承けて、このそれが水なのだという解釈を示している。勿論これは「講義」のための手法であり、かれ自身の体系構成の方法からの説明である。(……)
実に、タレスの「水!」の発語は、かれの筆持つことへの怠惰の故でも、文献の不足や伝承の疎漏の故にでもなく、初めてあれに、万有の蔭に完全犯罪を遂行して止まぬあいつに、人間が突然出遭ったときの、驚畏と緊張の異様な沈黙のさ中に発せられた一語であったが故に、かく厳しく孤立するのである。
井上忠「プラトンへの挑戦――質料論序論――」『根拠よりの挑戦 ギリシア哲学究攻』東京大学出版会、1974, p. 11–16.
(原文のルビは丸括弧にて指示、傍点は太字とした)

何とも不思議な文章だけれども、これはアリストテレス『形而上学』の記述を下敷きにしている。

しかし、こうした原理(アルケー)の数や種類に関しては、必ずしもかれらのすべてが同じことを言っているわけではなくて、タレスは、あの知恵の愛求〔哲学〕の始祖であるが、「水」(ヒードル)がそれであると言っている、(それゆえに大地も水のうえにあると唱えた、)そしてかれがこの見解をいだくに至ったのは、おそらく、すべてのものの養分が水気のあるものであり、熱そのものさえもこれから生じまたこれによって生存しているのを見てであろう、しかるに、すべてのものがそれから生成するところのそれこそは、すべてのものの原理(アルケー)〔始まり・もと〕だから、というのであろう。たしかにこうした理由でこの見解をいだくに至ったのであろうが、さらにまた、すべてのものの種子は水気のある自然性(フィシス)をもち、そして水こそは水気のあるものにとってその自然の原理であるという理由からでもあろう。
アリストテレス『形而上学 上』(出隆訳)岩波文庫、1959, p. 32–33.
(原文のルビは丸括弧にて指示、傍点は太字とした)

ここでアリストテレスは、原理=始原(アルケー)がどうなっているかについて過去の学説を紹介し、それをひとつずつ検討してゆく。そしてタレスはそれが「水」であると言ったとしている。

たしかにここから「すべての始原は水である」という命題を読み取るのは簡単だし、アリストテレスの文章がそうした命題的な文章への傾向性をもつことは確かだと思う。

でも、そこにイノチュウは待ったをかける。ここでタレスが言ったのは、

「水!」

の叫びじゃないといけない。

「すべての始原は水である」みたいに間延びした命題じゃあない。
哲学のはじまりが「驚き」なのであれば、まさにイノチュウの指摘は、哲学の始まりが何であるかについての厳しい洞察であると言えるんじゃないだろうか。

ここで私はイブン・シーナーによる「概念化」と「承認」という二つの考えに行きあたる。

彼は『治癒の書』「入門篇」第1巻第3章で以下のように言っている:

また事物はふたつの面から知られる:
ひとつ目は、概念化される(=思い浮かべられる)だけであり、それが名前を持っていて発話されたとき、精神のうちにその意味を、真も偽もなしに思い浮かべた場合。たとえば「人間」と言われたり、「私はこのようなことを行う」と言われたり。なぜならあなたは、それによって話されていることの意味を理解したら、それを概念化する(=思い浮かべる)だろうから。
ふたつ目は、概念化と共に承認が生じる場合である。たとえば「あらゆる白さは付帯性である」と言われたとき、これによってあなたに、この言説の意味の概念化が生じるだけでなく、あなたはそれがそうであると承認する。それがそうであるかそうでないかを疑っていても、あなたは言われたことをすでに概念化している。というのもあなたは、あなたが概念化していなかったり理解していなかったりするものを疑っているのではなく、それをまだ承認していないだけなのだから。あらゆる承認は概念化と共にあるが、逆は成り立たない。
Ibn Sīnā, Kitāb al-Shifā’: al-Madkhal, ed. A. Qanawātī, M. Al-Khuḍairī, F. Al-Ahwānī, Cairo: al-Idārah al-ʻāmmah li-l-taqāfah, 1952, p. 18

彼によれば、「人間」とだけ言われるのは概念化であり、「人間は理性的動物である」と言われるのが承認である。
概念化の場合、ただその概念が頭に思い浮かんでいるだけであり、それについて真も偽もまだ言われない。
それが分節化されて、文章になってはじめて論理学的な命題になるのだ。

これはまさに、「水!」という叫びから「すべての始原は水である」への分節化に対応していないだろうか。

もちろんこの概念化は真偽が定かでないのだから、命題的な文章こそを哲学的探求の題材にするペリパトス派的な視点からすると、「哲学以前」の叫びに過ぎないかもしれない。

しかし、承認可能な命題も、かならず概念化されたものから構築されなければならない。

そういった意味では、「水!」の叫びこそが哲学の始まりなのだというイノチュウの指摘と、哲学的命題以前に真偽の定まらない概念化の段階があるとしたイブン・シーナーの主張は、結構似ているのでないかとも思ったりするのだ。