2016年10月31日月曜日

【高校生のための中世アラビア語哲学入門】1-3どんな地域の哲学?

 ――どんな地域の哲学?

 それでは、中世アラビア語哲学がおこなわれていたのは、どのような地域なのでしょうか?
 もちろん、アラビア語が文章語として使用されている地域であり、それはこの時代、ほとんどイスラームという宗教の範囲と重なります。しかしイスラームという宗教を信仰していても、日常的には自分たちの言葉を話しているという地域も多いです。たとえばこの時代でも、ペルシア系の人々が住む地域(現在のイランよりも広い)では、人びとは日常的にはペルシア語を話し、文章を書くときだけアラビア語を使用しました。
 また、イスラームが信仰されている地域とだいたい重なりますが、そこには数多くのキリスト教徒やユダヤ教徒など、ムスリム(=イスラム教徒)以外の人びとも住んでいました。このように、中世アラビア語哲学がおこなわれていたのは、きわめて多種多様な人びとが暮らす、広大な地域なのです。

 もう少し具体的にお話しましょう。中世アラビア語哲学がこのようにとても広い範囲でおこなわれていたとはいえ、そこには大きく分けてふたつのグループがあります。ひとつは現在のイラクやイラン以東などを中心とした「東方哲学」のグループ。もうひとつはアンダルシア(現在のスペイン)を中心とした「西方哲学」のグループです。そして「東方哲学」はさらに、バグダードを中心とした「バグダード学派」と、ホラーサーン(現在のイラン東部からアフガニスタン)、トランスオクシアナ(現在の中央アジア)などさらに東で栄えた「東方哲学」があります。「東方哲学」という言葉がふたつも出てきてまぎらわしいですが、ここでは今後、狭義の「東方哲学」、つまりホラーサーンやトランスオクシアナで興隆した哲学のことを「東方哲学」と呼ぶことにします。

 それでは、それぞれの地域の哲学がどのようなものか、簡単に見ていくことにしましょう。
 まずはこのなかで「バグダード学派」が時代的にはもっとも古いです。しかしそれ以前のキンディーなどはバグダードで活躍したにもかかわらず、一般的にはバグダード学派とみなされることはありません。バグダード学派は名前の通りバグダードを中心として栄えたのですが、本当のことを言うと「学派」と言うほどまとまったグループではなく、もっとゆるやかな傾向をもった哲学者の集まりです。彼らに共通する要素を言うと、論理学をとても重視したということです。また、バグダード学派にはキリスト教徒がとても多かったことも特徴です。ただし、ファーラービーのようなムスリムもバグダード学派だとみなされます。

 その後、バグダードで発展した哲学は東の地域へと伝わります。具体的にはさきに述べたホラーサーンやトランスオクシアナといった、当時のイスラーム世界からすると「辺境」や「周縁地域」と言って良い場所です。どうやらこの地域出身の人たちがバグダードなどに留学し、そこで哲学を学んで生まれ故郷にもちかえったことにより、こういった東の果てでも哲学というギリシアの学問が学ばれることになったようです。東方哲学の中でももっとも重要なのがイブン・シーナーです。むしろ「東方哲学」とは、バグダード学派など「西」の哲学に対抗するためにイブン・シーナーが呼び始めた名前ですので、本当のことを言うとイブン・シーナー以前のこの地域の哲学にたいして東方哲学と言うのはおかしいのですが、ここではイブン・シーナー以前も含めることにします。東方哲学の特徴はアリストテレス新プラトン主義折衷主義ですが、これはキンディーにも見られる特徴で、東方に哲学をもち帰った哲学者たちには、バグダード学派と同じくキンディー学派の影響も強かったことが分かります。

 時代的にはもっとも遅く成立したのが「西方哲学」です。西方哲学がおこなわれたのは現代のスペインやモロッコなどですが、この辺りは当時イスラームを信奉する王朝が支配していました。西方哲学の最初の哲学者とされるのがイブン・バーッジャですが、彼は政治家としての業務に忙殺されて、それほどまとまった作品を残していません。その後の哲学者イブン・トゥファイルによる哲学小説『ヤクザーンの子ハイイ』(これは『ロビンソン・クルーソー』に影響を与えたと言われています)、純粋アリストテレス主義を提唱し、イスラームよりもスコラ哲学に多大な影響を与えたイブン・ルシュドなど、西方哲学を支えた哲学者たちはとても個性が強いです。またこの地域ではユダヤ人コミュニティがそれ以外の地域よりも発達していたため、西方哲学の地域ではユダヤ哲学も盛んでした。(但し、両者に交流があったかどうかは分かりません。)

 時代に沿ってそれぞれの地域の影響関係を見ていくと、バグダード学派から東方哲学に、そしてバグダード学派と東方哲学から西方哲学にという流れになります。そして私たちが取り扱うイブン・ルシュドの死によって、ひとまず「中世アラビア語哲学」のフェーズは終わりを迎えますが、その後は東方で哲学がまったく滅びていくかというとそういうわけではなく、よりイスラームと親和的な形をとって、むしろ「イスラーム哲学」とでも呼ぶべき形で続いていくことになります。

 以上が中世アラビア語哲学がおこなわれた地域にかんする大まかな流れになります。もちろんエジプトやシリアなど、当時の先進的な地域でも哲学はおこなわれていましたし、それらの地域を無視することはできないのですが、まずは大まかに「バグダード学派」、「東方哲学」、「西方哲学」という三つのグループを覚えてもらえば大丈夫です。

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